絵日記 日日平安 2009年06月
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『吉本隆明1968』を読む -好日読書 vol.53-

 鹿島茂『吉本隆明1968』(平凡社新書)を読みました。

 吉本は今なお、団塊の世代から圧倒的支持を受けています。糸井重里(昭和23年生まれ)が「ほぼ日」で大々的にフィーチャーしたのは記憶に新しいところ。渋谷陽一(昭和26年生まれ)も「吉本隆明が居なければ自分で雑誌を創刊しなかった」と書いています。

 ただ、私(昭和43年生まれ)にとって、吉本は「もう一つピンとこない人」でした。
 『言語にとって美とは何か』も『共同幻想論』も『マス・イメージ論』も、なんだかよくわからず途中で読むのをやめてしまいましたし、学生時代に聞きに行った講演会ももう一つピンとこなかった。

 本書は、自身も団塊の世代である鹿島(昭和24年生まれ)が「吉本はどうすごいのか」を若い人向けに詳しく説明してくれた本です。吉本論はたくさん出ていますが、こういう視点はありそうでなかったような気がします。

 内容を私なりに要約すると、吉本はありとあらゆる「欺瞞的なことばづかい」と闘った人である、ということです。

 「欺瞞的なことばづかい」とは「ひどく大げさなことば」「具体的なイメージや現実感をもたないことば」「空疎なことば」「自分を正当化するようなことば」「無責任なことば」「尻馬に乗っただけのことば」等々さまざまです。

 吉本は、プロレタリア文学、芥川龍之介、高村光太郎、戦争詩を書いた詩人たちのことを取りあげながら、この問題を追求し、自らそういう生き方(欺瞞的な言葉づかいをしない生き方)を実践してきたのです。

 「欺瞞的な言葉づかい」ときいて、私が思い浮かぶものを挙げてみます。

 たとえば、ジョン・レノンの「イマジン」。名曲です。でも、あの歌詞を聞いて「ポール一人とも仲よくできないのに、世界中の人と仲よくできるわけないだろう」と思ったことはないでしょうか。欺瞞的といえば欺瞞的、まあ、音楽とはそういうもの(=よき側面を拡大してとりあげるもの/希望や願いをこめるも
の)なのかもしれません。(吉本が後に「文学者たちの反核声明」に反対したのは、おそらくこの辺に理由があります)

 ニュース等で見る「少子化問題には早めに手を打たなくてはならない」「政府の無策が景気を悪化させた」「総理大臣はダメだ」等々の主張。
 少子化問題にどう手を打つのか、それによってどう効果があるのか、財源は?対策による悪影響は?そもそも少子化は悪なのか?政府の政策で何とかなるものなのか?これらを一切考えることなく、政府を悪者にしてすべてをすませてしまう欺瞞。景気対策に対する主張も同じです。総理大臣の仕事が何で、どういう権限があるのかほとんど知らないままに総理はダメだといっておけば何となくすんでしまう思考停止の欺瞞。テレビもラジオも新聞もネットも、これに関してはすべて同じですね。

 こんな話ばかりではなく、権力と闘うべしというのが弱っちい人だったり、モラルややさしさを説く人が電車の中で席を譲らなかったり、庶民性や主婦感覚をいう人がブランド志向だったり、というようなことはいくらでもあるのではないでしょうか。(私自身にも多々あります)

 身の丈にあったことばを使うべし。正直に書き、正直に生きるべし。吉本の偉さ、すごさは、この単純な原理を誠実に貫いて生きたことにあるようです。
 「大衆をアテにするな」とか「反核は欺瞞だ」とか、言いづらいこともきっちり(正直に)言う。この本を読んで、少なくとも私には吉本の偉さがよくわかりました。

 真っ先に思い出したのが、高田里惠子『文学部という病』(ちくま文庫)。文学部の教授たちが虚勢を張って書いた文章をイジワルな視点で取り上げた名著です。この本の登場人物たちは、吉本にクソミソに言われそうですね・・
 この他、ジョージ・オーウェルの「ナショナリズム覚書」という評論文、親鸞の『歎異抄』(吉本は親鸞論も書いてますね)、宮台真司の「まったり革命」、東海林さだおのエッセイ、などいろいろな人たちを連想してしまいました。(読書一郎)
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[ 2009/06/29 16:34 ] 好日読書 | TB(0) | CM(0)
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