日日平安
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コンピュータは名人を超えられるか(後編) -好日読書 vol.12-
 推理小説の祖、エドガー・アラン・ポオも「メルツェルの将棋指し」という、チェスをする機械の話を書いています。1836年、コンピュータの原型のような機械(人が手でハンドルをまわして動かす)ができたかできなかったかという時代です。
 これは小説ではなく、一種のドキュメンタリーで、メルツェルという人が「チェスをする」機械仕掛の人形を持っていて、それで見世物の興行をしている。ゼンマイ仕掛で動き、かなり強い。
 ポオは「そんなことができるわけがない。中には人間が入っているのだ」ということを自信満々に論証していきます。
 「機械的な計算はきまった手順で行うことが可能だが、チェスはそうではない」とか「機械にチェスのゲームを勝たせる原理が見つかったのなら、機械は常に勝たなくてはならないはずだ」とか、その内容は非常にもっともなもので、機械がチェスをして人間に勝ったりするほうがよほど不思議な気がします。

 私が持っている『ポオ小説全集』(創元推理文庫)所収の「メルツェルの将棋刺し」を訳したのは小林秀雄。(「将棋刺し」となっていますが「将棋指し」ではないでしょうか)
 『江戸川乱歩推理文庫 書簡 対談 座談』(講談社)という本の中で、小林は江戸川乱歩と対談していて、なんとコンピュータ将棋の話をしています。

 小林 人工頭脳というものがあって将棋を指すっていうんですよ。(中略)僕はすぐこれは怪しい。ウソだっていったんだ。

 対談が行われたのは昭和三十二年。IBMが初の商用コンピュータを作ったとかそういう時代で、将棋をするコンピュータなんてある筈もなく、その話は嘘でした。小林は「メルツェル」を思い出したと言っています。
 対談はその後、コンピュータ将棋の原理のような話になります。

 小林 数を計算するの、これが考えられないほど早くできるってこと、これが人工頭脳でしょう。だけどこっちにするか、あっちにするかということは全然範疇の違ったことじゃないか。(中略)だから機械的にはできないよ。

 江戸川 判断といいますけどね、たとえば五十種類なら五十種類の判断がある場合、一つずつ機械でやったら、どれかコチッと当たるということでいくんじゃないですか。

 小林 できるが無限に多くなるんだ。その判断という奴が一つでも入ると計算はとても大きな数になるんですよ。(中略)計算は不可能ではない。その代り、たいへんな時間がかかるでしょう。計算の速力は無限ではない。

 驚いたことに、お二人ともまったく正しいことを言っています。乱歩の言っていることはコンピュータ将棋の原理そのものですし、小林の主張も昭和三十二年でのコンピュータの性能を考えるとまったく正しい。

 現代の技術は、普通の人間の想像力をはるかに超えたところまで進んでいる、ということなのでしょう。(読書一郎)
コンピュータは名人を超えられるか(前編) -好日読書 vol.11-
 ニュースなどでも話題になっていましたが、先ごろ「人間対コンピュータ」の将棋の対局がありました。
 私がこのニュースを知ったのは対局の数日前。あわてて、昔読んだ『コンピュータは名人を超えられるか』(飯田弘之 岩波科学ライブラリー)を読み返しました。著者はコンピュータ将棋の研究者で将棋はプロ6段というすごい人。これによると、コンピュータ将棋の棋力はこの本が書かれた2002年でアマ4段くらい。「あと数年前後で、コンピュータがプロ棋士レベルに到達できると予測している」とあり、現在は2007年。まさにその通りになっている感じです。
 人間代表は渡辺明竜王で、将棋界を代表する一人。半端な人選ではありません。(負けることはないでしょうが)負けたらたいへんなことになりそうです。チェスの世界チャンピオンがコンピュータに負けた時の衝撃を思い出します。
 コンピュータ代表「ボナンザ」は、2006年の「世界コンピュータ将棋選手権」(そういう大会があるんですね)で優勝。カナダ在住の化学の研究者が個人の趣味で開発したソフトです。
 当日を楽しみにしていたのですが、やはり竜王が勝ちました。ただ、中盤まではボナンザ有利に進み、ボナンザは大健闘したようです。
(この辺は竜王自身のブログhttp://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/に詳しい。このブログはとてもおもしろく、私はすっかり渡辺ファンになってしまいました。これからは応援しようと思います)
 今回は「人間対コンピュータ」といっても渡辺竜王とボナンザの開発者保木さんの個人同士の対戦で、竜王の方がメカニカルな印象がするほどで、何というか気持ちよく終わったように思いました。
 チェスのときは、IBMが1秒で2億手読むというものすごいコンピュータを作って勝負にのぞんでいて「人間対コンピュータ」というよりは「個人対大企業」という印象が強く、私にはあまり後味がよくなかったのです。

 驚いたことに、ボナンザの開発者である保木さんはほとんど将棋を知らないらしい。(ここに詳しい記事がhttp://journal.mycom.co.jp/articles/2006/05/08/shogi/)
 「将棋を知らない人が最強将棋ソフトを作る」それで真っ先に思い出したのが、ジャック・フットレルの書いた推理小説『思考機械』です。
 「思考機械」というのは主人公=名探偵のあだ名。ものすごく頭のいい人で、それまでチェスをまったく知らなかったのが、ルールをチョコッと習っただけで世界チャンピオンと対戦して勝ってしまう。

 「ルールを識り、論理さえ働かせばどんな相手にも勝てる─こう豪語したヴァン・ドゥーゼン博士がチェスの世界チャンピオンを破った時、相手は唸った。「あなたは頭脳そのものだ。機械─そう思考機械だ!」 これが彼の綽名となった」(本が手元にないので、このページから引用させていただきました。http://www.aga-search.com/21-1thethinkingmachine.html)

 作者のフットレルはタイタニック号の沈没事故で亡くなったという方で、第一短編集が出たのがちょうど100年前。その後、文字通りの「思考機械」が誕生し、この挿話が現実のものとなるとは、フットレルさん自身も思っていなかったのではないでしょうか。(もっともコンピュータは論理的思考力だけで勝負しているわけではありません。過去の棋譜や定跡のデータベースを参照しています。思考機械の話はやはり嘘ですね)(読書一郎)

(後編につづく)
ひさびさに「国家の暴力」を実感した日
ようやく赤字だらけの確定申告が終わったのだが、経費を出す上で去年の足跡を追ってみて驚いた。地元に帰省したのを抜いても、

2月沖縄 3月沖縄2回 4月沖縄・豊橋 5月沖縄 6月沖縄 8月沖縄・豊橋 9月沖縄・房総・猪苗代 10月大阪・北京・豊橋 12月沖縄 ついでに1月豊橋・沖縄 2月札幌・横須賀

と、ほぼ出ずっぱり。いったい1年間何をやっていたのか……。平均3泊しているとして、60泊くらいは外泊。それ以外に荻窪や上野の朝帰りを入れると……1年に3ヶ月は家にいないことになる。なんてことだ。

 で、確定申告が終わったので免許更新にいった。これがまたひどい。何年か前に待ち伏せの罠にはめられて取り締まられたシートベルト違反があったばっかりに2時間講習。それも「人生でいちばん無駄な時間」と呼んでもいい、「無為」の局地。老醜をさらす講師、無内容の講義、講習費用の収奪。それでも受けないと免許証をもらえない。既得権と権力を見せつけられる、一種の国家の暴力と言ってもいい。
 ……と、プリプリ怒ったあと、ようやく免許証をもらえる。その免許証とともに渡されたのが、「免許所更新に伴う処分について」という紙。これがなんと……!

「この処分(優良運転者以外の更新)に不服があるときは、処分のあったことを知った日の翌日から起算して60日以内に(中略)不服申立てをすることができます」

 とあるのだ。つまり余分の金を取り、さんざん無為無駄な時間を過ごさせた挙げ句、「文句があったら言ってみろよ」というわけなのだ。

 そういうことは、講習の前に通達しろ!(ボイコットする自由を与えろ!)

 と怒って終わる。まあ、こういう紙を配るということは、文句をいう人がたくさんいるということの証拠でもあるのだが。

 だが、つくづく国家とは、「租税収奪」をするためだけの機構であり、国民を心底バカにしているシステムだということを実感した。今年は赤字だから所得税は払わないが、1億儲かっても絶対払わんぞ、おれは。
「ハケンの品格」
 派遣労働にはなぜか非常に詳しいので興味深くみた。
 最初はあまりのデフォルメぶりにどうかと思ったが、これぞ「いまの世の中を切り取った」ドラマらしいドラマである。たぶん今週の最終回は視聴率トップになると思う。それくらい、共感する派遣労働者は多い。

 ヒール的役割であったヒロインがじつは、といったパターンは「女王の教室」にも通じ、いわゆる「ツンデレ」、成功ドラマの黄金パターンだったりする。また、なぜか篠原涼子の役が黒澤明の「用心棒」の三船敏郎を思い出してしまうのも一興。
一息
 ここ数ヶ月やたらと時間ばかりかかった仕事と、突発的突貫工事で入った別の仕事が先週から本日にかけてようやく片づいた。昼も夜もなく体調を悪くして、それでもススキノではフィーバーしちまって……と、残ったのは極度の肩こりとあまりに軽い財布……。で、明日からは一旦仕事は休んで確定申告の手続きへと向かわなければならない。

 で、いろいろ計算してみるとなんたる赤字! 会社も個人も大赤字である。これでは妻も子も(?)食べさせていけないではないか……。ともかく、由々しき事態。わかってはいたのだけれども。

 でもまあ、久しぶりに仕事のない夜が過ごせるので、日本酒でもかっくらってたまったビデオ(HDD)でもみて寝ることとする。
「ステージドア」
 今年、TULIPは18年ぶりのオリジナルアルバムを出してコンサートツアーをする。再結成ツアーも今回が最後になるらしい(年齢上の事情ということだ)。

 それはともかく、TULIPが1989年に解散したとき、ステージで最後に演った曲が「青春の影」だ。そのときは1985年に脱退したメンバーたち(安部俊幸・姫野達也)がツアーに参加し、一応の大団円となった。が、当時、安部・姫野は別に「THE ALWAYS」というバンドをやっていて、TULIPのツアーはあくまで「お手伝い」モードだということが伝わった、なかなか複雑なステージであったことも確かだ。当時のビデオをみても、安部・姫野の表情はなかなか硬かったりする。

 その「THE ALWAYS」がTULIP解散ツアー中に発表した「HEN」というアルバムの最後に「ステージドア」という曲が入っている。そしてこの曲のAメロのコード進行と歌詞を聴くと、安部(作詩)・姫野(作曲)のTULIP解散への本当の思いを痛切に感じて、「ああ、本当にかっこいいメッセージとはこういうことなんだな」と納得してしまったのだ、1989年当時の話だが。

 というのは、「ステージドア」のAメロは「青春の影」とまったく同じコード進行なのである(もちろんメロディは異なるが)。
 そして歌詞が「ステージを飾る最後のメロディ 言葉なくして」(2番)。TULIP最後のステージで「青春の影」の財津和夫の歌声が涙で途絶えるのを予感しているかのような歌詞なのである。
 「ステージドア」は「青春の影」とTULIPの最後に向けたメッセージソングだったのである。

 そしてBメロはまったく異なる曲展開になる。それは「(TULIPとは)違う道を歩いていくよ」という彼らのもうひとつのメッセージだったのだと思う。

 まあ、その後、1997年の再結成でまた両者は同じ道を歩きだしたのだから、それはそれでよかったことだったのだと思う。それから10年、本当に最後のツアーが始まる。

とまあ、今回はあまりにマニアックな話ですいません。
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