日日平安
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「冬のソナタ」
 現在、午前中に再放送をやっているので、たいへん遅ればせながらとりあえずみておこうかと流しで鑑賞。現在14話が終了したが、「そうくるか、おい!」といった展開でなかなか愉しい。「眠れる森」など、いろんな日本のドラマのパターンを転用してオリジナル化している根性は皮肉でなくすごいと思う。
 人づてに、このあとまだまだいろいろあると聞いたので、そのサプライズを愉しみにみたいねぇ。
カキーン!
 朝起きたら相変わらず気持ち悪く、しょうがなくいつものバッティングセンター「カキーン」へ。先日冬野球であまりに打てずショックだったので、慎重にフォームを固めながら試し打ち。でもまだまだ身体ができず、100球ほどでやめて仕事へ。

 仕事の最中、名護の公園へ寒緋桜の写真を撮りにいくも、まだつぼみばかり。明後日からの花見に向けてテキヤさんたちが準備中だったが、ほんとに咲くのか、明後日。でも、昨日の寒さと打って変わっての今日の暖かさに、たぶん明後日ギリギリで咲くのだろう。さすが旧暦の国オキナワだ。

 で、仕事のあと、打合せで一杯。さすが今日は飲み疲れでこの時間(10時過ぎ)に帰ホテル。

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寝不足
 相変わらず沖縄。仕事ばっかりでまったく楽しみがない、と思っていたら、横浜中華街の、同胞&首領(ドン)である人物が同じ時期に沖縄にきていることが発覚。昨日、今日と深酒。同世代はともかく飲むなぁ……。
 というわけで、昨日は創作中華料理屋、桜坂居酒屋、桜坂バーで3時まで、今日は山羊料理のさかえ、おでんの悦っちゃん、よくわからない飲み屋しぃぐわー、その他で3時。

 おれはもっと寝たいのだぁ!


カンヅメ
 せっかく沖縄にいるのに、なぜかホテルでカンヅメ作業。ネット社会は怖いもので、パソコンがあればウチで仕事をしているのと何も変わらない。携帯があればいつもと同じような会話やメール。
 ラジオも点けずに集中してたので、さっき休憩する際、「ちょっと休んで昨日の『華麗なる一族』の録画でもみようか」と思いついたのだが、「ああここはウチじゃなくて沖縄のホテルだったんだ」と認識。日本中どこにいてもほんとにフラットな状態。でも、先週の電波の届かない合宿所&老人しかいない田舎町とのギャップはなんなんだ。

 下はホテルの部屋の写真。沖縄とわかるものは泡盛とうっちん茶だけ。なぜかどこでもVAIOと一緒。

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束の間の東京
 先週、新たな仕事を探しに愛知県T市へ。2泊3日の合宿で、まあ、某会社の戦略をいろいろミーティングするという集まり。
 この合宿所がまた海辺というか、山の中というか、PHSの電波がまったく届かない……。いきなり陸の孤島になる。おまけに参加者に西欧の人がいて、ほとんど英語でミーティング。英語なぞほとんどわからないが、彼はネイティブじゃないので逆に聴きとりやすい。束の間、英語が得意になった錯覚に陥る。
 電波が届くのは、夜、外に食事にいくときだけ。クルマでいってないので、バスでトコトコと田舎町に出る。いるのはほんと、老人と中学生だけ。二夜連続で同じ魚介類の料理店に行き、なかなかの刺身に舌鼓しながら、一日分の電波連絡を行った。……しかし田舎の合宿所は寒い……。

 で、東京に戻るも束の間、荻窪オールナイトと冬野球をこなしてまた沖縄へ。(つづく)

blackboard
日本最初の長編本格ミステリ -好日読書 vol.9-
 近所の本屋で横溝正史の『呪いの塔』(徳間文庫)という本を見つけました。聞いたことのない題名です。解説を見たら、書かれたのが昭和7年。『本陣殺人事件』が昭和21年ですから、かなり昔の作品です。

 これが軽井沢を舞台にした、スマートなミステリなのです。
帯には「巨星怪奇コレクション第二弾!」とありますが、怪奇性はほとんどありません。むしろクリスティなど、海外ミステリの影響が強く感じられます。
 とはいっても、解説にもあるように、江戸川乱歩の『陰獣』をリスペクトした内容で、メイントリックもそれにならったものになっています。
(どうでもいい話ですが柳亭痴楽の落語「推理作家」も同じネタを使っていますね)
 私はとても面白く読んだのですが、乱歩の異常な傑作と比べると確かに癖がないというか、個性に欠けるきらいがあります。
 こういう人が15年後に『本陣』『獄門』『八つ墓』といったワールドクラスの名作を次々に書くのだから、小説家というのはわかりません。戦後の横溝の活躍を、乱歩はどんな気持ちで見ていたのだろうと思います。

 ふと「これは日本最初の長編本格ミステリなのではないか」と考えつきました。先述の『陰獣』は本格といってよい作品ですが、長さは「中編」です。発表媒体の関係なのでしょう、戦前には長編娯楽小説自体が少ないような気がします。

 「戦前の本格」というと必ず名前が出てくるのが浜尾四郎の「殺人鬼」です。未読だったので創元推理文庫の『日本探偵小説全集5 浜尾四郎集』を買ってきました。
 それによると「殺人鬼」は昭和6年に「名古屋新聞」に連載されたとあり、こちらのほうが一年早い。長さも500ページ近くあります。やはりこの時代、長編は新聞小説になるなのだな、と勝手に納得しました。
 これが嬉しいほどガチガチの本格。ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』を意識したというとおり、陰気な洋館で連続殺人が起こるという筋はそっくりです。最後まで『グリーン家』のような話かと思わせておいて、実は『ギリシア棺の謎』だった、というところも心憎い。「日本最初の長編本格ミステリ」と呼んで間違いないのではないでしょうか。
 それにしても、こういうものを新聞連載で読んでもどうにもならないのではないか、という気はします。時代に早すぎた、ということなのでしょう。

 実は『浜尾四郎集』を買ったときに、隣に『日本探偵小説全集12 名作集2』が並んでいました。これには「戦前のアリバイもの」としてよく名前が挙がる「船富家の惨劇」が収録されていて、ついついこちらも買いました。これは昭和11年の作品。
 和歌山で殺人事件が起こり、犯人を追って紀伊半島を巡る、というトラベル・ミステリーの元祖のような話です。異常に凝ったトリックで、犯人は警察の裏の裏の裏くらいまで読んで行動している。実際にはこんな奴いないだろう、と思わずにいられませんでした。
 また「アリバイくずし」というのは、犯人ぽい奴がいるのに鉄壁のアリバイがある。それがじわじわとくずれていく、その過程がおもしろいのですが、本作は「意外な犯人」ネタも併用されているため、アリバイくずしの部分がかなりかけあしになってしまって、そこが惜しいという感じがしました。
 まあ昭和11年の作品に文句を言っても仕方がないですし、とにかく非常に楽しんで読めました。

 『殺人鬼』『呪いの塔』『船富家』これらを戦前本格長編御三家と呼んでよいのではないでしょうか。戦前の本格ものは時局のせいもありあとはあまり続かず、戦後の横溝、鮎川、高木、安吾らの大爆発を待つことになります。(読書一郎)
『トリックスターから、空へ』(太田光)
 太田光が「TVブロス」に連載したものをまとめた本。
 太田光といえば「私が総理大臣になったら…」のイメージで、このエッセイ集もかなり政治の話題が多いのだが、どちらかというとそういう話題はそれほどおもしろくない。

 この本でいいのは、例えば「戦争責任」の章。随筆家・岡部伊都子が婚約者を戦争に送り出すときに、きっぱり戦争を否定した婚約者に「喜んで死んでこい」といい婚約者は死ぬ。送り出した自分は恋人を殺した戦争加害者。自分に戦争責任があると問い続ける岡部さんのことが書いてある。
 また、例えばイチローがWBCでみせたのは「愛国心」では表現しきれない「想い」があったからだと書かれた「想い」の章、もしくは、ライブドア堀江氏は「価値をとらえ損ねた人」、「価値」とはどんどん変化していくもので、堀江氏はそれに鈍感すぎたと書かれた「移動」の章、極めつけは、栃木リンチ殺人事件で、「助けて」という想いすら加害者に伝えられなかった被害者の青年や、「助けたい」という想いを警察に伝えられなかった両親のことを書いた「伝える」の章。ダイレクトに政治的な話よりも、非常に感覚的な「ことば」の分析の文章が鋭い。読むべき一冊。
「ハケンの品格」(第一話)
 いま僕は日本中でもかなり「派遣労働」に詳しいほうの人間だと思うので非常に興味深いドラマだった。

 というか、派遣スタッフを使う派遣先側がかなり横暴でパワハラ満載、突っ込みどころ満載なのだが、まあそれはよしとして、ワードもエクセルも使えない加藤あいの役どころをみてかなり切実に感じる人はたくさんいるんだろうな、と実感。「たかが道具」なのだが、ビジネス上では「されど道具」。道具は使う機会がないと使えない。ちょっとした経験値があるかどうかだけの違いなのに……。

 と、最近、パソコン作業のしすぎで完全に前頭葉がゲーム脳でいかれてしまっているので(ディスプレイをみると視界がぼやけてマジで気持ちが悪くなる)パソコンを止めようかマジでと思っている僕自身の感想である。
東京新聞「ドラえもん」論を読む
 先週「東京新聞」で「いじめと生きる」と題した「ドラえもん」の論評を連載していた。
 簡単にいうと、本編(短編)マンガ「ドラえもん」での「いじめっ子」ジャイアンや「観客」=スネ夫、「傍観者」=しずかちゃんの構図や、長編(映画にもなったヒューマニズム系)「ドラえもん」でのジャイアンがみせた「仲間」「同族」意識みたいなこと、それが作家が意図した本当のことだというような「いじめ擁護」にも思えることがいろいろ書いてあった。

 が、どれもピントがずれ過ぎ。どうしようもない。(短編の「いじめっ子」から)ジャイアンが改心したら許されるのか、おい。作家がどっちの意図を持っていようがそれも関係ない。いじめはいじめだ。強者が弱者をいじめる。それ以外のなにもない。「強者がほんとうはたいした強者じゃなかった」といったような文学的なオチもいらない。いつでもいじめるのが強者でいじめられるのが弱者であるだけだ。

 だいたい、「いじめる側」と「いじめられる側」がじつは根は同じだとか、いじめる側も同じメンタリティがあるとか、そういうことは一切ありえない。「いじめる側がじつは孤独だった」というようなこともない。いじめる側はいつでもどこまでも醜悪。人を傷つけたい。それだけである。

 そういえば、幼少のころから「ドラえもん」が好きではなかった。一般的には「夢を与える」マンガかもしれないが、そのマンガからは僕には「絶望」と「永遠に変わらないいじめ」しか感じることがなかった。それから抜け出そうとしない(というか頼りっぱなしの)のび太が嫌いだった。無機的に冷たい(いじめを放置している)のび太の両親も嫌いだった。「ロボット」であるが「父性」そのものである「温かい」ドラえもんはそのアンチテーゼなのかもしれないが、そういう無機的なアンチテーゼも嫌いだった。

 ともかく、いじめられた側はいじめた側をいつまでも「いつか殺ってしまいたい」と思っている。「観客」や「傍観者」に対してもそう。それが事実である。少なくとも、僕自身、そういう相手には一生そう思うだろうし、誰も許すことはできないと思う。逆に、僕自身がそう思われているのなら、甘んじて攻撃を受けよう。反撃もするけどね。
「犬神家の一族」を観る -好日読書 vol.8-
 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 正月あけに、職場近くの映画館でリメイク版「犬神家の一族」観ました。元版はテレビでやるたびに観ているので、少なくとも5〜6回は観ている筈です。
 一般的にリメイクが元版より面白いことはあまりないように思うのですが、それでも観るのは「ミステリ映画愛」というか「犬神家愛」というか「愛」としか言えない感情が底にあります。

 観て驚いたのですが、シナリオはほとんど一緒、撮り方やカット割りも一緒、テーマ曲も一緒、弁護士役の俳優(前回は小沢栄太郎、今回は中村敦夫)が同じような丸眼鏡をかけているとか衣装や役作りも一緒。三木のり平がやった役を林家木久蔵がやっているとか、配役の傾向も一緒。ほぼ「完コピ」のリメイクでした。
 元が傑作なのでもちろんつまらなくはありません。これで犯人が岸辺一徳だったりしたらものすごくびっくりしたと思うのですが、もちろんそのようなことはありませんでした。

 リメイク版の最大の変更点はキャストです。
 石坂浩二と加藤武は一緒。石坂金田一はやはりいいですねえ。『金田一です。』という著書まで買ってしまいました。
 加藤武は年取ってました。調べたら77歳。無理もありません。あの署長役はほかの人じゃできないので、本当によく出演してくれたと思います。
 珠世さんが松島菜々子。もちろん綺麗でしたがちょっと貫禄がありすぎる印象。
 松子夫人が富司純子。とてもよかったと思いました。元版では高峰三枝子が余りに圧倒的だったので、普通にやってはとてもかなわないように思うのですが、大健闘だと思います。
 実は松子夫人が佐清と話すラストシーンでちょっと涙が出てしまいました。この話は「子供を思う親が生んだ悲劇」なのですが、元版は高峰三枝子がすごすぎてその辺がよくわからず、今回しみじみわかりました。

 ということで元版も観たくなり蔦屋に借りに行ったら貸し出し中。「そういえば家にあったのではないか」と突然思い出し、案の定数年前12チャンネルで放送したときに録画したやつがあったので、同じ日にそちらも観てしまいました。細かいところがチョコチョコ(本当にチョコチョコ)違っていました。
 かわりに森繁久彌のサラリーマン映画「へそくり社長」を衝動的に借りてしまい、こちらもとても面白かったです。三木のり平は両方に出ていますね。(読書一郎)
浅草詣
 昨日一仕事を終え、ちょっと気持ちが落ち着いたのでようやく部屋の掃除。年明けの大掃除というわけではないが、ともかく部屋中領収書の山。それに対する売上がまったくない……。とまあ、それはともかく、ようやく落ち着いて年賀状を書ける気分になる。といっても、実際送るのは一週間後だろうが。一月中には出したいものだ。
 
 だが、明日は一足遅れの浅草詣といこう。といっても浅草寺ではなく、WINSと飲み屋にではあるが……。
年末年始
 二日酔い、というか、朝まで飲酒&朝ラーメンで気分が悪く、さんざん「帰らない」とゴネた挙げ句、結局「虎屋」の羊羹片手に29日夕方の新幹線で帰省。非常に疲れた年だった年にふさわしく、グッタリ実家へ。夜は地酒に寿司。完全に普通の寿司に飽きている。あんまり旨くない。眠る前にもってきていた「CI5」のDVDをみる。

 翌日は越前海岸へ出て、例年のカニ。これは旨い!が、なぜかあまり感激がない……。飽きているのか。夜はなぜかパソコンに向かって一仕事。その後、「CI5」のDVD。

 大晦日は、なぜかこの町に帰省している在東京の友人となぜか「天狗」。どこでも天狗ってわけで、ちゅうなまとシャブリ。なぜかいつものメニューを頼んで満足。「変わらぬ」ことが満足。飽きているのに満足。なぜだ。10時過ぎに帰宅するも、実家には誰もいず、一人で年越しそばと三品しかないおせちと酒。なぜかジャニーズのカウントダウン。

 年明けは変わらずいつもの山奥の神社にお参り。夜は昨日「名物肉屋」で買ってきた「熟成パロマハム」「金華ハム」とカルビ焼きでワイン。カルビ焼きはやっぱり自分で焼いたあっさりしょうゆがいちばん。焼き肉のタレは邪道だ。

 翌日は一気に鎌倉の鶴岡八幡宮へ。後輩たちと合流しおみくじを引くと、数年前「大凶」だった後輩は、夫婦揃って「凶」。おかしい。こんなのは関係ないってことだ。自分のおみくじは「末吉」なのに不吉なことがいろいろ書いてあり、なおさら信じないぞ。ということで夜は後輩の新居でキムチ鍋。
 帰ったらハードディスクに「プリズンブレーク」がいっぱい録画されていたので、一気にみる。さすがハリウッド。すばらしい。が、こういうハリウッドに飽き飽きしている自分がいる。寿司とかカニとおんなじなのか。でもいちばん飽きている天狗だけは新鮮だ。なぜだ。
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