まさか生きているうちに「クイーン」名義のライブをみれるとは思わなかった。
そしてまた、これが素晴らしかった。日本だけで演奏したのだと思われる「手をとりあって」(もちろん日本語歌詞)やアンコールでギターだけでロジャーが歌った「I was born to love you」、 ブライアンのソロライブでもやらなかった名曲「'39」、最初に映像とともにフレディのボーカルが流れる「ボヘミアン・ラプソディ」などが涙モノ。また、ポール・ロジャースも明らかにキーが高いのに懸命なパフォーマンスをみせてくれた。
クイーン現役のころの過剰なまでに旺盛なサービス精神と「フレディがいないこと」をカバーするメンバーの一生懸命さが素晴らしかった。 それにしてもフレディの存在感というのは凄い。「ボヘミアン〜」の短い映像だけで圧倒された。
で、ライブの話はいいのだが、参ったのはその後。一緒に行ったヤツらでビールの一杯も飲もうと店を探すも、どこも定員オーバー。おまけに店も少ない。タクシーで大宮へ、と気づいてもまったくつかまらない。この大観衆を受け入れるインフラがまったくないのである。武道館でも東京ドームでも観客は一斉に街の中へ散らばっていけるのに、ここさいたま新都心はどこにもいけない、どんづまりなのである。開館後5年たってもまったくインフラができていないのは問題ではないだろうか。
しょうがないのでヨーカ堂の地下食品売場でビールでも買ってそのへんで飲もうと思ったが、アルコール売り場は閉店。諦めて戻ろうとすると僕らと同じ「さいたま難民」がビールを買いにきていたのが笑えた。
結局、駅改札横のコンビニでビールを買い込み、ベンチで乾杯となったわけだが、同じように時間をつぶしている観客たちに混ざり屋外でビールを飲んでたったいま触れたひとつの「歴史」を語るというのもなかなかオツなものなのであった。
そしてまた、これが素晴らしかった。日本だけで演奏したのだと思われる「手をとりあって」(もちろん日本語歌詞)やアンコールでギターだけでロジャーが歌った「I was born to love you」、 ブライアンのソロライブでもやらなかった名曲「'39」、最初に映像とともにフレディのボーカルが流れる「ボヘミアン・ラプソディ」などが涙モノ。また、ポール・ロジャースも明らかにキーが高いのに懸命なパフォーマンスをみせてくれた。
クイーン現役のころの過剰なまでに旺盛なサービス精神と「フレディがいないこと」をカバーするメンバーの一生懸命さが素晴らしかった。 それにしてもフレディの存在感というのは凄い。「ボヘミアン〜」の短い映像だけで圧倒された。
で、ライブの話はいいのだが、参ったのはその後。一緒に行ったヤツらでビールの一杯も飲もうと店を探すも、どこも定員オーバー。おまけに店も少ない。タクシーで大宮へ、と気づいてもまったくつかまらない。この大観衆を受け入れるインフラがまったくないのである。武道館でも東京ドームでも観客は一斉に街の中へ散らばっていけるのに、ここさいたま新都心はどこにもいけない、どんづまりなのである。開館後5年たってもまったくインフラができていないのは問題ではないだろうか。
しょうがないのでヨーカ堂の地下食品売場でビールでも買ってそのへんで飲もうと思ったが、アルコール売り場は閉店。諦めて戻ろうとすると僕らと同じ「さいたま難民」がビールを買いにきていたのが笑えた。
結局、駅改札横のコンビニでビールを買い込み、ベンチで乾杯となったわけだが、同じように時間をつぶしている観客たちに混ざり屋外でビールを飲んでたったいま触れたひとつの「歴史」を語るというのもなかなかオツなものなのであった。
相変わらずのクソッタレ人生で酒を飲みに行く気力もなく早々に帰宅してミソスープなど啜りながらNHKのニュースなどみていたらQUEEN来日のニュース。「やるなNHK、ポール・マッカートニー以来か」とかほざいてみているとあれだけ容貌の変化のなかったブライアン・メイがさすがにちょいと老けていた。
「フレディのいないQUEEN?」とかで(ジョン・ディーコンもいない)賛否両論なのだろうが、僕らの人生は短い。少しでも好きなもの、好きだったものを味わうことさえ、やがてできなくなってしまう。「美しさとは『忘れられない』こと」と再々々々結成TULIPも新曲で歌っている。人生とはやがて記憶だけになっていくと、かの『ガープの世界』にも書いてあった(か?)。
ともかくどんな形のライブでも、少しだけでもこのクソッタレ人生に光を当ててくれればマンゾクなのだ。
「フレディのいないQUEEN?」とかで(ジョン・ディーコンもいない)賛否両論なのだろうが、僕らの人生は短い。少しでも好きなもの、好きだったものを味わうことさえ、やがてできなくなってしまう。「美しさとは『忘れられない』こと」と再々々々結成TULIPも新曲で歌っている。人生とはやがて記憶だけになっていくと、かの『ガープの世界』にも書いてあった(か?)。
ともかくどんな形のライブでも、少しだけでもこのクソッタレ人生に光を当ててくれればマンゾクなのだ。
過日、某アーティストのディナー付きライブに行った。「Blue Note Tokyo」という由緒あるジャズクラブだ。
行くまえから悪い予感がしていたのだが、着ていく服がない。こういう場所は年に1回行くか行かないかなので、そのための服など持っているはずがないのだ。
服といえば、中・高校時代の友人が小洒落たヤツで、「これで勉強しな」と、当時ナカナカよい雑誌だった「HotDog Press」の別冊かなにかの「Wearing Bible」という本をくれた。それでそこそこのオシャレの知識を得て当時流行っていたDCブランドもどきを買ったりしたものだ。だがそんな色気は一瞬にして終わり、現在でいうユニ○ロ野郎、昔でいうとGoalway野郎(か?)に転身して15年といった感じなのである。
しょうがないので「せめても」とユニク○で新品のカジュアル長袖シャツを買って着込んでから会場に赴いたのだが、入ってビックリ。「果たして入場させてくれるのか」恐怖に陥るくらい華やか。沖縄の某有名アーティストや大リーグで活躍して先日引退した大ストッパー投手などがあちこちに……。女性も着飾っていてみんなキレイキレイ。で、案内されたテーブルはなんとステージの真ん前。どうにも会場にそぐわないカジュアル野郎が特等席に陣取ったというわけである。カブキ者だな、これじゃ。
席についてすぐにタキシードのお兄さんが近づいてきて挨拶をされるが誰だかわからない。「うーん」と考え、あっ、夜に飲み屋でしか会ったことのないいつもカジュアルな仕事着を着ている人だ、と気づいたときにはすでに背を向けていた。いつも違う女性を連れてきているので今日はどんな人だろうと目で追うと、真っ赤なドレスの派手な美女。このまえの女性は気さくでかわいいお姉さんだったのに……。「服に合わせて女性を変える男」。うーん、かっこいいではないか。
とまあ、いまさらながら人間における衣服の影響力というのを改めて思い知ったのである。蛇足のようだがライブとワインと料理は非常に素晴らしかった。来年のライブまでには「アンタッチャブル」のケビン・コスナーばりのアルマーニ野郎になろうと誓った。
行くまえから悪い予感がしていたのだが、着ていく服がない。こういう場所は年に1回行くか行かないかなので、そのための服など持っているはずがないのだ。
服といえば、中・高校時代の友人が小洒落たヤツで、「これで勉強しな」と、当時ナカナカよい雑誌だった「HotDog Press」の別冊かなにかの「Wearing Bible」という本をくれた。それでそこそこのオシャレの知識を得て当時流行っていたDCブランドもどきを買ったりしたものだ。だがそんな色気は一瞬にして終わり、現在でいうユニ○ロ野郎、昔でいうとGoalway野郎(か?)に転身して15年といった感じなのである。
しょうがないので「せめても」とユニク○で新品のカジュアル長袖シャツを買って着込んでから会場に赴いたのだが、入ってビックリ。「果たして入場させてくれるのか」恐怖に陥るくらい華やか。沖縄の某有名アーティストや大リーグで活躍して先日引退した大ストッパー投手などがあちこちに……。女性も着飾っていてみんなキレイキレイ。で、案内されたテーブルはなんとステージの真ん前。どうにも会場にそぐわないカジュアル野郎が特等席に陣取ったというわけである。カブキ者だな、これじゃ。
席についてすぐにタキシードのお兄さんが近づいてきて挨拶をされるが誰だかわからない。「うーん」と考え、あっ、夜に飲み屋でしか会ったことのないいつもカジュアルな仕事着を着ている人だ、と気づいたときにはすでに背を向けていた。いつも違う女性を連れてきているので今日はどんな人だろうと目で追うと、真っ赤なドレスの派手な美女。このまえの女性は気さくでかわいいお姉さんだったのに……。「服に合わせて女性を変える男」。うーん、かっこいいではないか。
とまあ、いまさらながら人間における衣服の影響力というのを改めて思い知ったのである。蛇足のようだがライブとワインと料理は非常に素晴らしかった。来年のライブまでには「アンタッチャブル」のケビン・コスナーばりのアルマーニ野郎になろうと誓った。
『ニッポニアニッポン』阿部和重(初版2001年8月)
映画「タクシードライバー」と平行して読んだせいか(映画と平行して読むとはどういうことか僕にもわからないが)、この小説の「トキ(鴇)」と「タクシードライバー」の娼婦役のジョディ・フォスターがオーバーラップしてしまった……。
「希少なものの抹殺という点では三島由紀夫の『金閣寺』(と同じ)」と著者はインタビューで答えているらしいが、その通りで、これらは「希少なもの」を自分のものとするため抹殺するという自己愛のドラマである。
ただ、「タクシードライバー」におけるトラビス(ロバート・デ・ニーロ)がそうであるように、それはただの勘違いである。少女娼婦(ジョディ・フォスター)を(本人にはたいして必要ないのに)助けるために犯罪を犯すトラビスの世の中に対する「思い込み(=勘違い)」は、思いっきりナンセンスコメディ。笑い飛ばせるだけで、何の意味も持たないのだ。
『ニッポニアニッポン』で途中から登場する少女が、途中まで真剣なのに最後はナンセンスコメディのような悲劇を口にするところが笑えて、それに対する主人公の告白も笑える。主人公の結末も笑える。
そしてラストはクィーン「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詩の引用。小説の表紙はアルバム「オペラ座の夜」のパロディ。本人は真剣なのに、笑える、笑える、おかしな世界。これが『ニッポニアニッポン』もしくは『金閣寺』もしくは(阿部和重が解釈する)「ボヘミアン・ラプソディ」の自意識の世界なのではなかろうか。
Nothing really matters to me 〜なんにも起こらなかったよ おれたちには!
Anyway the winds blows 〜風が吹くだけさ おれたちには何の意味もない風が(以上、意訳)
映画「タクシードライバー」と平行して読んだせいか(映画と平行して読むとはどういうことか僕にもわからないが)、この小説の「トキ(鴇)」と「タクシードライバー」の娼婦役のジョディ・フォスターがオーバーラップしてしまった……。
「希少なものの抹殺という点では三島由紀夫の『金閣寺』(と同じ)」と著者はインタビューで答えているらしいが、その通りで、これらは「希少なもの」を自分のものとするため抹殺するという自己愛のドラマである。
ただ、「タクシードライバー」におけるトラビス(ロバート・デ・ニーロ)がそうであるように、それはただの勘違いである。少女娼婦(ジョディ・フォスター)を(本人にはたいして必要ないのに)助けるために犯罪を犯すトラビスの世の中に対する「思い込み(=勘違い)」は、思いっきりナンセンスコメディ。笑い飛ばせるだけで、何の意味も持たないのだ。
『ニッポニアニッポン』で途中から登場する少女が、途中まで真剣なのに最後はナンセンスコメディのような悲劇を口にするところが笑えて、それに対する主人公の告白も笑える。主人公の結末も笑える。
そしてラストはクィーン「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詩の引用。小説の表紙はアルバム「オペラ座の夜」のパロディ。本人は真剣なのに、笑える、笑える、おかしな世界。これが『ニッポニアニッポン』もしくは『金閣寺』もしくは(阿部和重が解釈する)「ボヘミアン・ラプソディ」の自意識の世界なのではなかろうか。
Nothing really matters to me 〜なんにも起こらなかったよ おれたちには!
Anyway the winds blows 〜風が吹くだけさ おれたちには何の意味もない風が(以上、意訳)
先日、テレビ「食彩の王国」をみていたら「モッツァレラチーズ」がでてきて、記憶とはよくわからないものでいきなり「なんとかに乗ったモッツァレラ」という店にずいぶん昔にいったなあと思い出した。
僕が東京に来た91年ごろはまだバブリーな雰囲気が残っていて、タクシーなぞまず拾えなかった。アタマのネジが何本イカれてるのかよくわからない、ものすごいとしかいいようのない奇怪しな先輩が会社に何人もいてバブリーかつ狂躁な夜をいくつも過ごしたものだ。
そのあたりの細かい話はいつか小説に書くつもりなので省略するが、いきなり思い出したのである。「ワタシのバブリーな店」。モッツァレラ。お客の女の子がみんなかわいく美しく、店自体もホームメイドな(そんな言葉あるのか)おばさんがいて自家製のなんかチーズとかパスタの料理を出してくれる。そこにみんなでワイワイといく、みたいな。いまでは想像もできない情景である。たぶんそういう店はまだいろいろあるのだろうが、僕の中ではあのバブリーな時間で止まっている。調べてみると店名は「馬車に乗ったモッツァレラ」。まだあるみたいだ。
「おはじき」という店もあった。(調べてみると)駄菓子屋パブらしい。なんだ、それ? でもいまはないみたいだ。リクエストで曲を流したりゲームをしたりのイベント居酒屋で、ここもかわいく美しい女の子がたくさんいて、何かと話したりしていた。いきなり司会のお兄さんが隣同士でジャンケンをさせ、勝ったら相手から100円もらい勝ち抜いたら全額もらえる、という。計算すると30人いると1500円? いや、もっと多かったか。オンナを巡ってつまらない喧嘩をした記憶もバブリーだ。
上2軒とも池袋の店だが、池袋といえば「舎人庵」があった。当時起業した先輩のオフィスが池袋にあり、そこに毎週のように遊びに行った。その1軒目がだいたいこの日本酒の店。「テレクラのオンナ面接してからいくから舎人庵で待ってろよ」とか何の起業をしたのかわからないようなことを言われて一人で酒飲んで待っていたり……。怪しいオンナの履歴書いっぱいみせてもらって「オレが面接しますよ!」とか。けっこう高価な酒を最後は結局一気飲み大会になり、ひとり10000円とか払ってた。
他にも、別の起業家先輩が一晩20万くらいおごってくれたときの店の話とか、思い出せば思い出すほどバブリーなのである。お酒を飲むのもいまよりよっぽど楽しかった。いまならどんな深酒しようが徹夜で飲もうが「終わり」がみえるが、そのころは本当の意味でのエンドレス。どこでどう飲もうが朝になろうが「次」があった。もってまわった言い方なら「明日」があった。あれはいったいなんだったんだろう?
そんな終わりのない連綿とした時間のつながりがいちばんバブリーだったのかもしれない。
僕が東京に来た91年ごろはまだバブリーな雰囲気が残っていて、タクシーなぞまず拾えなかった。アタマのネジが何本イカれてるのかよくわからない、ものすごいとしかいいようのない奇怪しな先輩が会社に何人もいてバブリーかつ狂躁な夜をいくつも過ごしたものだ。
そのあたりの細かい話はいつか小説に書くつもりなので省略するが、いきなり思い出したのである。「ワタシのバブリーな店」。モッツァレラ。お客の女の子がみんなかわいく美しく、店自体もホームメイドな(そんな言葉あるのか)おばさんがいて自家製のなんかチーズとかパスタの料理を出してくれる。そこにみんなでワイワイといく、みたいな。いまでは想像もできない情景である。たぶんそういう店はまだいろいろあるのだろうが、僕の中ではあのバブリーな時間で止まっている。調べてみると店名は「馬車に乗ったモッツァレラ」。まだあるみたいだ。
「おはじき」という店もあった。(調べてみると)駄菓子屋パブらしい。なんだ、それ? でもいまはないみたいだ。リクエストで曲を流したりゲームをしたりのイベント居酒屋で、ここもかわいく美しい女の子がたくさんいて、何かと話したりしていた。いきなり司会のお兄さんが隣同士でジャンケンをさせ、勝ったら相手から100円もらい勝ち抜いたら全額もらえる、という。計算すると30人いると1500円? いや、もっと多かったか。オンナを巡ってつまらない喧嘩をした記憶もバブリーだ。
上2軒とも池袋の店だが、池袋といえば「舎人庵」があった。当時起業した先輩のオフィスが池袋にあり、そこに毎週のように遊びに行った。その1軒目がだいたいこの日本酒の店。「テレクラのオンナ面接してからいくから舎人庵で待ってろよ」とか何の起業をしたのかわからないようなことを言われて一人で酒飲んで待っていたり……。怪しいオンナの履歴書いっぱいみせてもらって「オレが面接しますよ!」とか。けっこう高価な酒を最後は結局一気飲み大会になり、ひとり10000円とか払ってた。
他にも、別の起業家先輩が一晩20万くらいおごってくれたときの店の話とか、思い出せば思い出すほどバブリーなのである。お酒を飲むのもいまよりよっぽど楽しかった。いまならどんな深酒しようが徹夜で飲もうが「終わり」がみえるが、そのころは本当の意味でのエンドレス。どこでどう飲もうが朝になろうが「次」があった。もってまわった言い方なら「明日」があった。あれはいったいなんだったんだろう?
そんな終わりのない連綿とした時間のつながりがいちばんバブリーだったのかもしれない。
杉真理の「POP MUSIC」というアルバムに「AsideからBsideへ」という短い曲があり、A面・B面のないCDを(ああ、AもBもないからCDなんだ。書いてて気づいた)その曲で区切ってみるということをやっていたが、AB面はまさに時代の産物になってしまった。
少し前のカセットをカーステレオでひさしぶりにかけたとき、「あっ、この曲懐かしい」とか助手席の女の子なんかにいわれると、「えっ、こんな(マイナーな)曲知ってるの?」といいかけて、(あっ、そうじゃなくて前にこの車で聴いたんだ)と気づいたときなんかにオトコとオンナは「時間の流れ」なんかを感じて愛を確かめあうんだろう……と訳のわからん喩えを使ってしまったが、長いつき合いというのは怖い。この場合、相手がヤローでも同じで、「この曲みんな知ってますよ、センパイ」などと不肖の後輩などにいわれても、(ああ、こいつともそうとう長くバカやってんだなぁ)などと感じて妙に照れくさい嬉しさに包まれてしまうという訳のわからないハナシなのだ。AB面の話はたいして関係ないのだ。
少し前のカセットをカーステレオでひさしぶりにかけたとき、「あっ、この曲懐かしい」とか助手席の女の子なんかにいわれると、「えっ、こんな(マイナーな)曲知ってるの?」といいかけて、(あっ、そうじゃなくて前にこの車で聴いたんだ)と気づいたときなんかにオトコとオンナは「時間の流れ」なんかを感じて愛を確かめあうんだろう……と訳のわからん喩えを使ってしまったが、長いつき合いというのは怖い。この場合、相手がヤローでも同じで、「この曲みんな知ってますよ、センパイ」などと不肖の後輩などにいわれても、(ああ、こいつともそうとう長くバカやってんだなぁ)などと感じて妙に照れくさい嬉しさに包まれてしまうという訳のわからないハナシなのだ。AB面の話はたいして関係ないのだ。
アニメにはまったく門外漢なのだが、沖縄のコザが舞台になっているという面妖さ(言葉遣いが「?」だが)に惹かれて今日から始まった新番組「BLOOD +」(TBS・毎土18:00〜)をみた。
何がすごいかというと、冒頭のイメージ(回想?)シーン。日本刀でアジア系の人たちを切り捨てていくという、南京大虐殺を想起させるシーンから始まるのである。土曜の6時のアニメだよ、おい。
ストーリーも在日米軍などが絡み、そっち(過去の戦争)のほうと深く関わっていくような展開。舞台がコザというのもまったく頷けるというかこの内容ならコザしかないだろう。
といっても絵のタッチ自体は美しいリアリティアニメで、沖縄の描写(海やシーサーやコザの街並みなど)はナカナカおもしろい。上記シーンや全体の過激さ、血生臭さでいろんなところから圧力がかかったりして打ち切られたり内容が自粛されないことを祈ろう。もちろん権力の暴力を増長するような内容なら思いっきり非難すべきではあるが、まずは自由な言論だ。
主役の女の子に絡む謎の男の名前が「ハジ」。『砂のクロニクル』(船戸与一)から来ているのだろうか。
ちなみに番組のサイトは→ http://www.blood.tv/
こちらではまるごとその日の放映分の動画がみれる→ http://blood.aii.co.jp/index.html
ネットによると、このアニメの前身である映画「BLOOD THE LAST VAMPIRE」というのはタランティーノも激賞したという有名作らしい。ぜんぜん知らなかったが、「エヴァンゲリオン」のようにおかしくならぬよう見守っていこう。
何がすごいかというと、冒頭のイメージ(回想?)シーン。日本刀でアジア系の人たちを切り捨てていくという、南京大虐殺を想起させるシーンから始まるのである。土曜の6時のアニメだよ、おい。
ストーリーも在日米軍などが絡み、そっち(過去の戦争)のほうと深く関わっていくような展開。舞台がコザというのもまったく頷けるというかこの内容ならコザしかないだろう。
といっても絵のタッチ自体は美しいリアリティアニメで、沖縄の描写(海やシーサーやコザの街並みなど)はナカナカおもしろい。上記シーンや全体の過激さ、血生臭さでいろんなところから圧力がかかったりして打ち切られたり内容が自粛されないことを祈ろう。もちろん権力の暴力を増長するような内容なら思いっきり非難すべきではあるが、まずは自由な言論だ。
主役の女の子に絡む謎の男の名前が「ハジ」。『砂のクロニクル』(船戸与一)から来ているのだろうか。
ちなみに番組のサイトは→ http://www.blood.tv/
こちらではまるごとその日の放映分の動画がみれる→ http://blood.aii.co.jp/index.html
ネットによると、このアニメの前身である映画「BLOOD THE LAST VAMPIRE」というのはタランティーノも激賞したという有名作らしい。ぜんぜん知らなかったが、「エヴァンゲリオン」のようにおかしくならぬよう見守っていこう。
風邪&働きすぎ(?)で本日は仕事を休んだのだが、昨夜、すごくよい店でいい豚肉をたっぷり食べたせいか朝起きるといきなり風邪が治っている。普段、肉をめったに食べないせいか、たまに食べると効果テキメンアガリクス(!)といった感じだ。お酒も焼酎各種+ワインと大量に飲んだのだが、百薬の長とはよくいったものだ。
行ったのは六本木の某・超人気店なのだが、これがまたお客がいいオンナばかり。他の街のオンナとはなんとなく違うオーラがあったりして非常に美観。たまにはいい場所のいい店にいってきちんとゼイタクするものである。さ○ら水産とか○民とかでヤロー同士がまずい発泡酒や焼酎のお湯割なんか飲んでクダを巻いていると、治る風邪も治らなくなってしまう。
というわけで、昨日まで苦しんでいた頭痛と体のだるさにはオサラバし、今日はバッティングセンター&スイミング。とりあえずこれから飲みに行こうという次第なのである。
と、たまにはアホな日記でも、と一筆した。この店、知りたい人には教えますん(どっちだ?)。
行ったのは六本木の某・超人気店なのだが、これがまたお客がいいオンナばかり。他の街のオンナとはなんとなく違うオーラがあったりして非常に美観。たまにはいい場所のいい店にいってきちんとゼイタクするものである。さ○ら水産とか○民とかでヤロー同士がまずい発泡酒や焼酎のお湯割なんか飲んでクダを巻いていると、治る風邪も治らなくなってしまう。
というわけで、昨日まで苦しんでいた頭痛と体のだるさにはオサラバし、今日はバッティングセンター&スイミング。とりあえずこれから飲みに行こうという次第なのである。
と、たまにはアホな日記でも、と一筆した。この店、知りたい人には教えますん(どっちだ?)。
岡本太郎美術館について書いたばかりだが、この雑誌の内容についても触れたい。
まずこの雑誌そのものに編集長の情念をビシバシ感じる。バックナンバーも、「人間空海の反骨」とか「宮澤賢治−宇宙につながる意識−」とか、タルコフスキーの難解映画「ノスタルジア」の特集なんてのもある。ともかくかなりトンだカルチャーマガジンだ。
そしてこの号はまるごと岡本敏子氏の特集。まず、岡本敏子はじつに岡本太郎に似ている。男と女はつきあえばなぜか似てくるものだが、岡本敏子の写真はどれも太郎の雰囲気が漂う。話すこと、言葉はもちろんそれ以上に似る。
編集長と岡本敏子との交流の話、中沢新一との対談、糸井重里などの追悼文などどれも非常におもしろくまるごと読む。また、「第8回岡本太郎記念現代芸術大賞準大賞」というのを受賞した藤井健仁という彫刻家の作品がおもしろい。いろんな著名人、政治家、犯罪者などの「顔」を鉄で制作したものだ。藤井氏の解説もいい。野中広務の彫刻をして「自民でも一方的スタンスの小泉純一郎とはまるで違う、権力志向も勿論あるけど、部落解放運動にも関わったりする、いわば、ないまぜになった表情。(中略)昭和の厳父というか、(中略)昭和を生きてきた複雑な思い」。
藤井氏の過激さは最後に、自分の人物の描写は小林よしのりの人物描写との対局にあることを説いたあとで「自らが持つ技術への認識に於いて、私は小林より遥かに高い地点に立っていると思っています。でもこれは傲慢でもなんでもありません」と言い放つ。まったく拍手喝采。じつに岡本太郎的、ともいえる。
藤井氏の話が長くなったが、ともかくまるごと読めて、非常に刺激的な雑誌だった。また「ノスタルジア」に挑戦したくなった。
まずこの雑誌そのものに編集長の情念をビシバシ感じる。バックナンバーも、「人間空海の反骨」とか「宮澤賢治−宇宙につながる意識−」とか、タルコフスキーの難解映画「ノスタルジア」の特集なんてのもある。ともかくかなりトンだカルチャーマガジンだ。
そしてこの号はまるごと岡本敏子氏の特集。まず、岡本敏子はじつに岡本太郎に似ている。男と女はつきあえばなぜか似てくるものだが、岡本敏子の写真はどれも太郎の雰囲気が漂う。話すこと、言葉はもちろんそれ以上に似る。
編集長と岡本敏子との交流の話、中沢新一との対談、糸井重里などの追悼文などどれも非常におもしろくまるごと読む。また、「第8回岡本太郎記念現代芸術大賞準大賞」というのを受賞した藤井健仁という彫刻家の作品がおもしろい。いろんな著名人、政治家、犯罪者などの「顔」を鉄で制作したものだ。藤井氏の解説もいい。野中広務の彫刻をして「自民でも一方的スタンスの小泉純一郎とはまるで違う、権力志向も勿論あるけど、部落解放運動にも関わったりする、いわば、ないまぜになった表情。(中略)昭和の厳父というか、(中略)昭和を生きてきた複雑な思い」。
藤井氏の過激さは最後に、自分の人物の描写は小林よしのりの人物描写との対局にあることを説いたあとで「自らが持つ技術への認識に於いて、私は小林より遥かに高い地点に立っていると思っています。でもこれは傲慢でもなんでもありません」と言い放つ。まったく拍手喝采。じつに岡本太郎的、ともいえる。
藤井氏の話が長くなったが、ともかくまるごと読めて、非常に刺激的な雑誌だった。また「ノスタルジア」に挑戦したくなった。
『レヴィ=ストロース講義』(初版1988年3月・平凡社ライブラリー初版2005年7月)
構造主義の旗手、20世紀の知の巨人でありかつ、ジーンズの発明者(ウソ、というか、どれくらいの人がこのギャグをわかるのか)であるレヴィ=ストロースが1986年に来日したときの講演録がこの本である。はっきりいってあっという間に読んでしまった。それくらいおもしろい。
というかじつにアクチュアル。学問とはこれくらい実際の社会、人間と密接であってほしいものだ。講演のタイトルは「現代世界の諸問題に人類学はいかに答えるか」。
例えば、先日、「死後の夫の冷凍精液で生まれた子供は認知できない」という判決がでてたぶん議論百出なのだろうが、これに対してどう考えるべきかを人類学はさまざまな事例を挙げて助言してくれる。未開社会などの「異なった社会に光を照らして、私たち自身の社会で生まれつつある慣習について考える」のが大事なポイントなのである。
おもしろいのが、未開社会の集団はある程度人口が増えると分裂して、人口を増やさないようにしているというところだ。例えば病気のウイルスが存続するには、多くの人数を循環しなければならない。小集団ならウイルスは自然に除去される。エイズは熱帯アフリカで数千年前から土着の住民人口と均衡して存在していたのだが、規模の大きい社会に導入された瞬間、重大な脅威になったという部分だ。
ともかく、これはいまだからこそ必読の書である。『悲しき熱帯』も『野生の思考』も読まねばならぬ。
ちなみにレヴィ=ストロース、96歳でまだ元気らしい。それがいちばん驚いた。リーバイ・ストラウスとは別人。しつこいか。
構造主義の旗手、20世紀の知の巨人でありかつ、ジーンズの発明者(ウソ、というか、どれくらいの人がこのギャグをわかるのか)であるレヴィ=ストロースが1986年に来日したときの講演録がこの本である。はっきりいってあっという間に読んでしまった。それくらいおもしろい。
というかじつにアクチュアル。学問とはこれくらい実際の社会、人間と密接であってほしいものだ。講演のタイトルは「現代世界の諸問題に人類学はいかに答えるか」。
例えば、先日、「死後の夫の冷凍精液で生まれた子供は認知できない」という判決がでてたぶん議論百出なのだろうが、これに対してどう考えるべきかを人類学はさまざまな事例を挙げて助言してくれる。未開社会などの「異なった社会に光を照らして、私たち自身の社会で生まれつつある慣習について考える」のが大事なポイントなのである。
おもしろいのが、未開社会の集団はある程度人口が増えると分裂して、人口を増やさないようにしているというところだ。例えば病気のウイルスが存続するには、多くの人数を循環しなければならない。小集団ならウイルスは自然に除去される。エイズは熱帯アフリカで数千年前から土着の住民人口と均衡して存在していたのだが、規模の大きい社会に導入された瞬間、重大な脅威になったという部分だ。
ともかく、これはいまだからこそ必読の書である。『悲しき熱帯』も『野生の思考』も読まねばならぬ。
ちなみにレヴィ=ストロース、96歳でまだ元気らしい。それがいちばん驚いた。リーバイ・ストラウスとは別人。しつこいか。
『カオス』梁石日(初版2005年9月)
90年11月初版の名作『夜の河を渡れ』の続編、だと思う。主人公たちの名前が違うがキャラはまったく同じ。
でも、続編として読む必要はまったくない。「欲望の街・新宿の夜の河を渡っていく」(『夜の河を渡れ』文庫版紹介文より)、まさにそういうストーリーだからだ。
裏の商売、飲み屋の描写、危ない人たちを描かせると梁石日に並ぶものはいないというわけではないが、やはり引き込まれる。描写に「もったい」つけない直球なのでなおさらだ(「新宿」関係の小説は、意外と描写が気取っていてもたれるものが多い)。闇と金と女のあいだで闘う在日朝鮮人の若者たちがつねに動きつづける躍動感だけで一気に読めてしまう快作。『夜の河を渡れ』と併せて読むのもお勧め。
90年11月初版の名作『夜の河を渡れ』の続編、だと思う。主人公たちの名前が違うがキャラはまったく同じ。
でも、続編として読む必要はまったくない。「欲望の街・新宿の夜の河を渡っていく」(『夜の河を渡れ』文庫版紹介文より)、まさにそういうストーリーだからだ。
裏の商売、飲み屋の描写、危ない人たちを描かせると梁石日に並ぶものはいないというわけではないが、やはり引き込まれる。描写に「もったい」つけない直球なのでなおさらだ(「新宿」関係の小説は、意外と描写が気取っていてもたれるものが多い)。闇と金と女のあいだで闘う在日朝鮮人の若者たちがつねに動きつづける躍動感だけで一気に読めてしまう快作。『夜の河を渡れ』と併せて読むのもお勧め。
「酒呑みがつくった酒呑みのための雑誌」の第7号が出た。だいたい、こういうあまりに個人的な雑誌が成り立つこと自体が業界の片隅にいる人間として不思議かつうらやましい限りで、これまで立ち読みで済ませていたのだが、なぎら健壱が出ているとなれば買うしかない。
まず表紙の女の子と男の子のイラストに「酎する?」のコピーがナカナカ。「甲類焼酎でいろいろ割ってみた」企画はちょっと気持ち悪く(ヨーグルトで割るとか魚肉ソーセージを漬けるとか)いまひとつだったが、なぎら健壱の怒濤の酒呑み話インタビュー、また「第1回 酒飲み高額納税者番付発表」という企画がおもしろい。1週間でどれだけ酒税を払ったかを酒呑みたちが争うというバカヤローな企画である。ちなみにトップは年換算189,124円、いちばん酒税が高いのはビール、安いのはワインだった(生ビール1杯111円、清酒1升253円、焼酎1升446円、ワイン720ml・40円)。ビールオンリーのヤツとはもう割り勘はできねぇ!たった9杯で血税1000円! 私の体はワインでできてやる! ナオミ・カワシマ!
というわけで、自分もやはり高額納税者であることを再認識。連載陣もナカナカで愉しい雑誌である。書店にはここしばらくしか置いてないと思うので、興味のある方、都内大型書店で探してください。
まず表紙の女の子と男の子のイラストに「酎する?」のコピーがナカナカ。「甲類焼酎でいろいろ割ってみた」企画はちょっと気持ち悪く(ヨーグルトで割るとか魚肉ソーセージを漬けるとか)いまひとつだったが、なぎら健壱の怒濤の酒呑み話インタビュー、また「第1回 酒飲み高額納税者番付発表」という企画がおもしろい。1週間でどれだけ酒税を払ったかを酒呑みたちが争うというバカヤローな企画である。ちなみにトップは年換算189,124円、いちばん酒税が高いのはビール、安いのはワインだった(生ビール1杯111円、清酒1升253円、焼酎1升446円、ワイン720ml・40円)。ビールオンリーのヤツとはもう割り勘はできねぇ!たった9杯で血税1000円! 私の体はワインでできてやる! ナオミ・カワシマ!
というわけで、自分もやはり高額納税者であることを再認識。連載陣もナカナカで愉しい雑誌である。書店にはここしばらくしか置いてないと思うので、興味のある方、都内大型書店で探してください。
最近笑ってしまったのが国勢調査である。学生時代に調査拒否したら調査員と大喧嘩、大トラブルになって以来、まったくよい印象を持っていない。最近は「個人情報保護」などで拒否する人も多くなったらしいが、そういう概念を与えられると人間は強気になるよなぁ。「個人情報ですから」といえば拒否するのに便利だし。
ただ、そういう思想的なことでなく、何が笑ったかというと、まず鉛筆(シャープペンシル)が見つからない。この時世、というか、シャープペンシルを使う局面がたぶん10年以上なかったので、部屋をいくら探してもみつからないのだ。
おまけに飲み会がつづき、ほとんどウチに帰らないので調査票をみたのが締切前日。というか、調査票自体くるのが遅く、まったく間に合わないのである。おまけに提出も近所の誰かのウチに持っていかなければならないのだが、そのウチ自体がわからない。
とまあ、この配布・回収状況とシャープペンシル問題だけでも、すでに僕の生活実態と百万光年くらい乖離している。だから「調査拒否」ではなく「提出不可能」というのが今回の国勢調査の調査結果というわけだ。
でも学生時代とは違い、優良高額納税(酒税・ガソリン税・入湯税)国民の自分としては締切を過ぎてもなんとかしなければならぬ。と、1時間ほどで埃だらけのシャープペンシルが見つかるも、芯が折れてる。替え芯などあるわけがない……。ダメだこりゃ、と長さんになってしまった日曜の朝である。
ただ、そういう思想的なことでなく、何が笑ったかというと、まず鉛筆(シャープペンシル)が見つからない。この時世、というか、シャープペンシルを使う局面がたぶん10年以上なかったので、部屋をいくら探してもみつからないのだ。
おまけに飲み会がつづき、ほとんどウチに帰らないので調査票をみたのが締切前日。というか、調査票自体くるのが遅く、まったく間に合わないのである。おまけに提出も近所の誰かのウチに持っていかなければならないのだが、そのウチ自体がわからない。
とまあ、この配布・回収状況とシャープペンシル問題だけでも、すでに僕の生活実態と百万光年くらい乖離している。だから「調査拒否」ではなく「提出不可能」というのが今回の国勢調査の調査結果というわけだ。
でも学生時代とは違い、優良高額納税(酒税・ガソリン税・入湯税)国民の自分としては締切を過ぎてもなんとかしなければならぬ。と、1時間ほどで埃だらけのシャープペンシルが見つかるも、芯が折れてる。替え芯などあるわけがない……。ダメだこりゃ、と長さんになってしまった日曜の朝である。
テレビでやってた映画版をみた。こういう超ヒット作について書くのはちょっとオソロシイ気もするが……。
原作の、高校生の主人公たちの話に現在の大人になった主人公のエピソードを新たに設定したのが映画版、ドラマ版はその「現在」にまた設定の変更が加えられている。ドラマは前にみていたのだが、はっきりいって映画版のほうが10倍おもしろい。それも、原作にはない「現在」部分がよい。なのでたぶん「過去」部分だけの原作はそれほどでもないのだと思う。読んでないが。
ここまで書いてちょっと関連サイトを眺めてみたが、原作・映画・ドラマについてあまりに熱く詳細に語っている人がたくさんいてソラオソロしくなってきたのでこれ以上書くのはやめるが、ひとつ、ドラマの綾瀬はるかよりも映画の長澤まさみのほうがものすごく悲しい。それも健康なときの場面が。それは演技がどうこうというより、二人の持つ身体性の違いなのかもしれない。
また、その健康な長澤まさみと、「現在」の柴咲コウの足の不自由さが映像的・ドラマ的な身体性の対比を複雑に表現していて、非常に「映画」だな、と思った。
原作の、高校生の主人公たちの話に現在の大人になった主人公のエピソードを新たに設定したのが映画版、ドラマ版はその「現在」にまた設定の変更が加えられている。ドラマは前にみていたのだが、はっきりいって映画版のほうが10倍おもしろい。それも、原作にはない「現在」部分がよい。なのでたぶん「過去」部分だけの原作はそれほどでもないのだと思う。読んでないが。
ここまで書いてちょっと関連サイトを眺めてみたが、原作・映画・ドラマについてあまりに熱く詳細に語っている人がたくさんいてソラオソロしくなってきたのでこれ以上書くのはやめるが、ひとつ、ドラマの綾瀬はるかよりも映画の長澤まさみのほうがものすごく悲しい。それも健康なときの場面が。それは演技がどうこうというより、二人の持つ身体性の違いなのかもしれない。
また、その健康な長澤まさみと、「現在」の柴咲コウの足の不自由さが映像的・ドラマ的な身体性の対比を複雑に表現していて、非常に「映画」だな、と思った。
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