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クイーン「ライヴ・アット・ウェンブリー・スタジアム」

 映画「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスである「LIVE AID」(1985年7月13日)の1年後(1986年7月12日)に同じ会場(ウェンブリースタジアム)で行われたライブのDVDをみた。

 最後のツアーとなったライブで、フレディはこのたった5年後に亡くなる。史実とは違う部分も多いが、映画で描かれていた通り、「LIVE AID」の直前のクイーンはまさに「解散直前」で、でもツアーをやっていて日本にも来ていた(1985年5月)。

 このウェンブリーはまさに映画の続編のような、「甦ったクイーン」のライブであり、映像のフレディのボーカルは超絶過ぎてとても「最後のライブ」とは思えない。もちろん発病もまだだったのだろうけど……。

 このライブツアーは結局日本に来なかった。なんで来てくれないのか当時は悔しくてしょうがなかったが、その頃の日本では観客動員は無理だったのかもしれない。チャートで「クイーン」を探すと「クイーンズライチ」、レコード屋でCDを予約しようと「フレディ・マーキュリーのアルバムを予約したいんですけど」というと「小比類巻かおるですか?」という、まったくよくわからない聞き違いをされた時代だ(笑)。

 「LIVE AID」直前の1985年5月の日本公演も名古屋はガラガラ(当時の語学クラスで一緒だった女性の証言)。まあもともと名古屋はガラガラな土地柄で、2012年のブライアン・アダムスも、ガイシホールからセンチュリーホールに変更になるほど入らなかったようだが、そのころのクイーンのガラガラはまさに1985年の日本を象徴していたようで、1986年の「Kind of Magic」ツアーがバブル当時の日本にやってきたとしても、もしかしたらまったく観客動員ができなかったのかもしれない。

 それはともかく、1986年最後のウェンブリーから1991年の死まで、クイーンとしてアルバム2枚(+逝去後の「Made in Heaven」を入れると3枚)、ソロで1枚(「バルセロナ」)リリースするという多作ぶりで、ライブには来れなくても、フレディの息遣いは聞こえていた、そんな5年間だった。(管理人)

20190214
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[ 2019/02/14 13:53 ] 音楽 | TB(0) | CM(3)

「クリスマスの約束」のないクリスマス

 小田和正の「クリスマスの約束」が今年は延期(来春らしい)になったので、今年は18年ぶりに番組がないクリスマスとなる。以前にも書いたが、あまりにエネルギーと手間とポテンシャルとお金がかかり、「小田和正自身の胆力」、そして「人のつながり」が最重要になる番組なので、17年間続けていたこと自体が奇跡のようだ。

 そこで先日、「2017」つまり昨年の分の再放送をしていたのだが、それを含めて昨日はHDDに残っている「2013」「2014」をみた。今晩は「2015」「2016」をみる予定。

 で、その「2014」がいわゆる「総集編」で非常に(たぶん)悪評だった。というか、10月ギリギリまでコンサートツアーをやった年に1か月でこの番組をつくること自体あり得ないことで、毎回ものすごくギリギリなところでやっていたと思うのだが、さすが「2014」はほぼ間に合わず、それでも多数のアーティスト+ゲスト細野晴臣というかたちで普通の番組数本分くらいの手間はかかっているのだが、放送のほとんどは「総集編」。放送当時は愕然としてそれ以来みてなかった。

 だが今回じっくりみてみると、2001年のはじまりから2013年の13年間の流れがよくわかり非常に新鮮で、特に2009年のあの20組計33人のアーティストの楽曲をつなげて全員で歌った「メドレー」が「小田和正が最初に思い描いていた到達点」であることがよく理解できる。

 第1回、ゲストのアーティストが一人も来ないことでまず「アーティスト同士の壁」にぶち当たり、さらにその姿をそのまま放送することで「テレビ番組の常識」を打ち破る。その「壁」をこじ開けたのが2年後になり、それから徐々に積み上げた「アーティスト同士が尊敬しあう状況」を本当の形にしようとしたのが9年目の「メドレー」。だがここでまた「壁」にぶち当たる。

 というのは、チャリティなどの目的もなくただ20組ものミュージシャンが一緒に歌うというだけのことに意味があるのか、という考えで、最初の段階では小田和正以外のアーティストもスタッフも(たぶんほぼ全員)同じ考えで反対する。
 その「壁」は、リハーサル等制作がどんどん進んでいる段階でも立ちはだかり、「成功」するか「失敗」するか誰もわからない状況になってしまっていた。そんな最中、小田和正がいうのが、

「言葉にするものじゃないところのもので、何かを超えていこうとしている企画」
「リスクがないところで新しいことはできない」


という言葉だ。そして「メドレー」の成功後にこんな言葉もある。「自分には(最初から)みえていた風景」だ、と。

 ほかのすべての人が「みえていない」風景を最初から思い描いて、まさに誰も、小田自身さえも「言葉」に表現できない部分をこじ開けて、「新しい風景」を現前させる。

 2001年、いや、小田が「日本でグラミー賞をつくろう」と思い立った、たしか1990年くらいから20年、「その風景」はまさに実現し、さらにその先の「風景」はいまもまだ続いている。(管理人)
[ 2018/12/25 10:46 ] 音楽 | TB(0) | CM(0)

映画「ボヘミアン・ラプソディ」をみる

 というわけで、映画「ボヘミアン・ラプソディ」をみた。

 まず驚いたのが観客の数。「超満員」というわけではないが、この手の映画ではあり得ない客入りで、フレディの死後27年経ってもファン世代は一回りも二回りもしているのを実感。ポール・マッカートニーの人気もそうだが、ファンが何世代も回っていくことくらい音楽家にとっては素晴らしいことはない。

 そしてオープニングが「21世紀FOX」の例のヤツなのだが、そこに入るギターの音がもうたっぷり「ブライアン・メイ調」で、一気にクイーンワールドに!

 僕くらいクイーンの関連の資料を読み込んでいると、歴史やエピソードなどに新しい情報はほとんどないのだが、それでも「読んで想像していたもの」がリアルに現前するくらい凄いことはない。伝説となっている「ボヘミアン・ラプソディ」のレコーディング以外にも「ああ、あのときの!」と思われる楽曲のシーンがふんだんにあって、でも単なる「伝記」映画ではない、まさに「アート」(ブライアン曰く)にまで昇華している。

 クライマックスは、それもまさに何十回も映像でみた奇跡の、そして伝説の20分間のライブであり、実際の映像とエピソードが俳優の演技と一体化する。それ以降のクイーンやフレディの死をまったく語らず、映画があそこで終わるというのは、人生はまさに信じられないような物語が起こりうる、奇跡とは実際にあるということ、逆にいえば、そんな奇跡の瞬間のためにどんなマイナスなことがあろうとも人生は積み重ねていくものだ、ということを物語っているようだ。

 で、そんなクライマックスとは別に、映画は「フレディの悲劇」をしっかり描いている。それは「女性を愛せない」、「家庭を持てない」悲劇であり、それは時代性なのだが、スキャンダル、誹謗中傷のひどさ、それによって起こる「回りの人との軋轢」と「孤独」、さらにそれによる私生活の「暴走」……エイズの療法も含めて、30年以上経ったいまならもう少し楽に生きることができたのだろうか。いまならフレディはどんな作品を生んでいたのだろか……。いろんなことを想起してしまう、哀しい映画だった。(管理人)

20181112
伝説の20分間の映像を収録。アマゾンで調べたらなかなか手に入らないようだが必見!
この映画の別テイク(映画に使われなかったシーン)もふんだんにあるようで(たとえばこの20分間のシーンはフルに再現しているらしい)、たぶん、特典映像満載のブルーレイ化が愉しみでならない。
[ 2018/11/12 11:51 ] 音楽 | TB(0) | CM(6)

70にして名盤!

「元気であれば」鈴木康博

 週末ようやく聴いたヤッさんの70歳にしてのニューアルバム。これが凄い!

 なにが凄いって、全曲若さ溢れる素晴らしいポップなメロディなのに、歌詞とタイトルがとんでもない。

 1曲目。

「今だって オレだけが 不安な夜を重ねてるとしか思えない 時がある
 先行きが 見えないのさ いくつ年を重ねてみてもそんなことは いつも同じ」


 最初からこの不安感(笑)。

 2曲目。

「70にもなりゃ年寄りさ 普通そうだろう」


 3曲目はタイトルが「夢キッスR70」。歌詞は、

「年は取りたくないな薬ばかり飲んで 飲みたい酒も気にしてちゃ 酔えやしないのさ」



 もう、70歳のオンパレードなのである。元々内省的な歌詞を書く人ではあり、ソロになってからはその年齢をリアルに歌った歌詞やタイトルの曲が多かったが、小田和正とのこの歌詞の違いはなんなんだろう。

 40代に「男40 この青春の火を 絶やさずに 生きてゆこう」と書いて、その歌をライブで歌うたび、「男50」「男60」と歌い直してきた人だ。今年は「男70」と歌っているのだと思う。

 それにしても凄い。ここまで年齢とその周りのことを重点的に書くとまさに「文学」で、まさに自分が信じられないことに40歳や50歳になったあの「驚き」の瞬間、人生は確かに終わりに向かっていくというリアル感、そんないろんなショックやそのときそのときの生き方のありかたなんかを、20歳も年上の人がきちんと教えてくれる、その年齢でその場で語りかけてくれる、そんなアルバム

 何度も書くが、曲は全曲ポップで全然老けておらず(40代の頃のほうが曲は老けていた)、小田和正に負けないその「スタンダート感」とその歌詞の「文学感」をあわせて、まさに名盤だと思う。

 小田和正のニューアルバムが待ち遠しくなった。(管理人)
20181105
[ 2018/11/05 14:47 ] 音楽 | TB(0) | CM(2)

小室哲哉と村田和人

 芸術家とは本当になんの後ろ盾や根拠もないもので、特にロックやポップミュージシャンの存在というものはふわふわしてつかみどころのない、なんだかよくわからないものである。音楽をつくっても別に何かを「生産」しているわけではないし、人の役に立っているかどうかも不明だ。

 それでもプロというものはプロで、アマチュアではない、演奏や歌声、作曲能力その他、すべてにおいてあるレベルを充たしているのであり、どんなに少ない数でも「お客」、「聴衆」がいる。

 先日、NHKで小室哲哉のドキュメンタリーをやっていた。栄光とその影、みたいな話だったが、小室哲哉は最初、2016年に亡くなった村田和人のバッグバンドにいた。
 村田和人といえば僕にとっては超ビッグな大物、というか、すべてのミュージシャンと並べても一番上のほうに位置するような人だと思うのだが、ヒット曲は1曲しかない。亡くなる直前までアルバムをつくって名曲の数々を生み出してライブを続けたが、たしかに「一般的には」誰も知らないマイナーなミュージシャンだ。

 小室哲哉はそんな「実力はナンバー1だが売れていない」ミュージシャンのバッグで演奏をしながら、「自分はこうはしない」と誓ったのだと思う。そして「音楽」を商売のツールに変え、イギリスへ行って世界最先端の音楽シーンを真似てヒットを連発、まさに「文化を仕掛けた」のである。

 それはもちろんすごいことなのだが、すでにミュージシャンの姿ではない。繰り返し再生産していく音楽、聴き手のメンタルを的確にとらえるマーケッティングでつくられていく文化。そこには「創造」はないのであり、やがてネタも尽きるし「飽きる」。お金や詐欺罪の問題もあるだろうが、小室哲哉の引退は結局「飽きた」からだと思う。

 59歳で引退した小室哲哉と62歳で亡くなる直前までライブをやって音楽をつくっていた村田和人。ではこの二人、何が違ったのか。それは「身体性」である。小室になく村田にあったものは、その身体から発するあの美しい「声」なのである。神から授かったような「声」がある限りは、音楽の神様は微笑んでくれている。

 こういうことを書くときにいつも思うのは、加藤和彦と小田和正の違いだ。小田和正が歌い続けていることと、加藤和彦が亡くなってしまったこと。それは小室哲哉と村田和人の相似形だと個人的には考えている。

 で、話は最初に戻るが、ミュージシャンに限らず、絵を描く人、詩を書く人、小説を書く人等々、そういう人たちが「商業ベース」に乗る以外に何にのっとって表現していくべきなのか。

 風邪をひいてなにもできない夜、そういうことを考えていたというわけなのである。(管理人)

20181004
プリモシーン関屋記念優勝クオカードが届いた。オーナー仲間(仕事人0さん、ゴロ八)へプレゼント。重賞勝利は気前が良くなる(笑)
[ 2018/10/04 11:26 ] 音楽 | TB(0) | CM(0)
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