絵日記 日日平安 本
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『こちらあみ子』を読む

『こちらあみ子』(「こちらあみ子」「ピクニック」)今村夏子
『むらさきのスカートの女』今村夏子


 たとえばどうしようもないコミュニケーションの断絶がある。
 目の前にいる職場の人でさえまったく理解不能、向こうもこちらを理解不能だろう。そういう断絶。

 そういえば数年前、新しく来た上司たち(なんと複数名いた)に職場から干されたとき何があったかといえば、まったくの無理解、言葉が通じない、理屈が通じない、向こうは「これといったらこれ」。話を聞こうともしないし、聞いても頭に入れようとしない。

 結局、あとになって、ひとりの上司は「仕事知らずのおこちゃま」、もうひとりは「アスペルガー」と記号付け(レッテル貼り)したら納得できた。

 つまりは、人間なんてお互い理解不能。その存在を理解するためには「レッテル貼り」がどうしても必要という話で、この小説3本は、「レッテルを貼らない段階」で貼られるほうからの視点で書かれた小説。

 「あみ子」は発達障害、「ピクニック」の主人公は妄想癖、「むらさき~」の主人公も妄想癖のストーカー、そういってしまうと小説自体が終わってしまうが、ここで考えるのは、「自分」がどうかという話だ。普通と思っていた自分が普通に何年も生きてきて、ふと気づいたとき「異常人間」扱いをされる。そういう扱いをされなくとも、どこかの社会からはなんとなく疎まれ、なんとなく差別されている。そういう状態はまあ普通にあること。

 では、「あみ子」やその他の主人公たちと「普通の自分」との差異はどこにあるのか。

 そんなものはどこにもない。

 どの小説も、最後の最後に作者がちらりとみせる「レッテル貼り」の恐怖、そして「他人の無理解と行動(いじめだったり暴力だったりする)」の衝撃が、どうしようもなく僕を絶望させる、そんな作品群である。(管理人)

20190717
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[ 2019/07/17 16:48 ] | TB(0) | CM(2)

『生命保険はヒドい。騙しだ』副島隆彦

 昔、会社の一つ上の先輩が断れない人(?)で、生命保険に三つくらい入っていたが、あれから二十数年、あの人の支払総額やそのリターンはいったいどうなっているのだろう。聞いてみるのも恐ろしい。

 そういう僕はこれまでたった一つも保険と称するものに加入したことがない。きっとその先輩と僕のあいだにはこの二十数年で1000万くらいの支出差があると思う。間違いなく。

 その1000万円がどこへ消えていったのかはまったくわからないが、その先輩は現在マイナス1000万円くらいの貯蓄(僕の貯蓄はほぼゼロ)なので、まあ、生命保険以外の収支は二人ともほとんどおんなじだ、というのがこの話のオチである(笑)。

 というわけで、68歳になって「保険のかけ替え」をいわれ、月の支払いが56000円から16万円に跳ね上がることになり、解約するとこれまで1300万円払ったのに80万円しか返ってこないという目に遭っている著者と生命保険会社とのやり取りを書いた本を読んだ。

 生命保険会社が詐欺師であることはもちろんわかっているが、某アーティストのツアーのスポンサーをやっていたりして、なんだか攻撃しにくい。でもまあ、詐欺師は詐欺師。生命保険なんて入らないで済ませるのが正しい、ということである。(管理人)
[ 2019/06/28 13:19 ] | TB(0) | CM(2)

『終わった人』その2

 今日、11時頃会社に着いたら、すれ違った元部下の女性に思いっきり爆笑された。「昨夜飲み過ぎて遅刻」だと思い込んでいる。「おいおい、人身事故だ」といってもまったく信用してくれない。オオカミ少年とはまさにこのことだ(笑)。

 事故は飛び込み自殺なのだが、なんと起ったのが僕の乗る駅で、6時38分。いつもの電車(会社近くのベローチェに7時30分に着く電車)は6時39分発なので、それなら目の前で事故を目撃したことになる。しかし、「昨夜飲み過ぎて遅刻」(遅い電車に)したおかげでそんな目に遭わなくてすんだ。

 というわけで『終わった人』の第2回。

 主人公が63歳で退職して9か月間、まったく「いらない人」として無為に過ごす。ところがひょんなきっかけから、新進のIT企業の顧問に迎えられ、まさに甦る。
 そのとき、同級生でボクシングのレフリーを現役でやっている友人に「ジジイはうつるから」といわれ、主人公は「だからこいつは無為に過ごしていたときの俺には近寄らなかったんだろう」と納得する。

 というシーンがあるのだが、まったくこの小説というか内館牧子の作品はこういう感心するエピソードが多い。「ジジイがうつる」のはまさにそうで、たとえばいまの自分の会社に長時間いたら、社員たちの「ため息」や「不幸」や「不運」がうつりそうだし、神田なんてしけた場所で飲んでいたら「貧乏」がうつる。不平不満ばかりいうマイナス言語の人間と飲んでいたら「ため息」も「不平不満」も「不幸」「不運」「貧乏」すべてがうつるし、そういう意味でその人がいる環境はすべてその人の運命を左右する。

 今朝、スカイライナーに飛び込んだ人のことはまったく他人事ではない。そんな朝である。(『終わった人』の項、つづく)(管理人)
[ 2019/06/14 11:49 ] | TB(0) | CM(0)

『終わった人』

  『すぐ死ぬんだから』を読んで急に内館牧子の凄さを思い出し、『終わった人』を買った。

 そういえばこの人、『義務と演技』とか『週末婚』、『エイジハラスメント』など、じつに男女のキツいところ、痛いところを突くのが上手い。それがまたその時代時代の流行というか、まさに「世の中に大反響のベストセラー」「タイトルも社会現象となった話題作」をたくさん書いている。『義務と演技』など、当時読んでいたらつきあっていた女の子に激しく責められ、半年くらい何かといってなじられた記憶が強い(笑)。

 さすがテレビドラマの脚本家出身というか、「時代」を嗅ぎ分け、人間を「観察、分析」し、それを「言語化」、「記号化」してまさに「言い切ってしまう」キレが素晴らしい。

 で、『終わった人』。まさに「終わった人」が主人公で、人間、僕くらいの年齢になると若干ゾッとする。もう数年するとメチャクチャビクビクしだして、その年(つまりは60歳から65歳)になるともう、まさに本当に「終わってしまう」。

 まずは社会から追い出されてしまう。
 いつか書いような記憶があるが、こういうときサラリーマンはキツイ。記号的に60歳または65歳の誕生日を迎えた瞬間、「終了」してしまう。こういうとき、土日にきちんと休めて仕事のことを考えなくていいという理由で自営業を激しく拒否して放り出した自分が「ダメだったなぁ」と思う。
 それくらい、60歳を過ぎると人間は「用なし」になってしまう。

 次に男と女の現役の戦線からも追い出されてしまう。
 40代はまだ独身でも言い訳ができたが、世の中は50の数字が出るとまさに「相手にされなくなる」。それが60歳になるとさらに、である。あんまり書くとリアルすぎて(笑)やめておくが、そういうエピソードには事欠かない年齢になりつつある。

 とまあ、まだ最後まで読了していないが、そんなこんなで人間はなんて空しい存在なのだろう。こうしてあっという間に人生が過ぎていき終わっていく、そんなことばかり考えてしまう小説なのであった(読了後に何か気持ちが変わったらまた書きます)。(管理人)

20190612
[ 2019/06/12 11:51 ] | TB(0) | CM(0)

『すぐ死ぬんだから』内館牧子

 会社に入ったばかりの頃の普通のサラリーマンは「無地の白シャツ」が当たり前の時代で、それから5年くらい経ったら急に色シャツやストライプ入りが普通になった。それでも「服装や外見に気をつかうのは内面が輝いていないのをごまかすためだ!」とバンカラ風に思いこんでずっと「無地の白シャツ」を決め込んでいた(笑)。

 で、会社を替わったりしてスーツを着なくてもよくなったり、普段着もジーンズが破れてダメになって以来、アウトドアのフワフワのパンツとかユニクロのフリースで「楽ーー」に過ごしていたある日、「これはやっぱりいけないんじゃないか」、「楽な恰好ばかりしているとダメになるような気がするな」と気づいて、思いっきり服や靴を買ったり、帽子を集めたりしてみた。結論からいうと「内面の輝きだけでアピールできなくなった」、つまりは年を取ったということなのだろうが、人間やっぱり、どこかで「楽ーーに過ごす」こと、つまりは年齢とともにズブズブになってしまうことを見直さなければならないときがあると思う。

 というわけで今年は赤いハットを試してみたり、最終的には白い上下のスーツと白いハットに白いエナメル靴に挑戦しようか、と模索しているところなのであるが、この小説の主人公、78歳のハナはつまり、商売をしていた60代までまったく気を遣わなかった自分に気づいて、「年を取ることは退化であり、人間60代以上になったら実年齢に見られない努力をするべきだ、という信条を持つ」

 その導入部分だけでこの小説に引き込まれ、しょせん他人は思ったほど自分とは関係ない、関心がない、自分のことは自分しかできない、変えられない、だから自分のやりたいようにやる、といった主人公の生き方に拍手を送りたい。

 しかし、この本の表紙にあるように、老人のリュック、くたびれた帽子とかループタイなど、普段はどうでもいいと思っていても、集団で来られたら確かにゲンナリする。メルロ・ポンティではないが、服装も外見も人間の身体そのもの、さらにいえば、その人の言葉もしぐさも、たとえばマイナスの言葉ばかり吐く人も、毎日ため息ばかりつく人も、その人の身体の「負」の一部分であり、つまりはくたびれた服をまとっているようなもの。いま一度、自らの身体性を見直さなければいけないな、と改めて感じた。(管理人)

20190607
[ 2019/06/07 10:54 ] | TB(0) | CM(0)
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