#1 ハゲタカ島
「金がないときほどぜいたくをしろ」というオヤジの教え(?)により、夏休みはなけなしの金をかき集めて海外に出かけることにした。
どこへ行ったかはオヤジの教えにより明らかにしてはいけないのでここには書かないが、まあ、中国周辺である。
昔「恋する惑星」「天使の涙」でバブリィな人気になっていた香港は、返還後のいまではただの中国の一地方都市だった。九龍あたりは以前行った台湾や北京と変わらずまったくつまらない。だいたい中国人は酒を飲む文化がない。お茶だけでクドい中華料理をパクパク食い散らかしているのがなんとも気に食わない。だから旨い酒がない。
それに比べておもしろかったのは金融都市の香港島。ここは欧米の「ハゲタカ」どもの巣窟で、夜の街はヤツらに支配されていた。こいつらは何も生産しない、クリエイトもしない。カネを動かすだけで夜は旨い高級ワインを飲みまくって「セラヴィ!」とかほざいている唾棄すべき人間どもだ。
だいたい、人間はどんな形であれ「人の満足」のための仕事をすべきだと思うが、こいつらには「自分のカネ」しかない。
ともかく香港島は、戦争でなくても金融だけで「侵略」が可能であることをもっともリアルに感じることができる街だ。ここには地元の中国人は一人もいない。日本と同じ「経済植民地」状態だ。
ここで、おれがこれから一生かけて闘おうと思う「敵」たちの顔をじっくり確認できてよかった。こいつら「ハゲタカ」どもをなんとかしてぶっ潰すまではおれは死ねないな。一応。
#2 投げ出しちゃう人
で、どこかの首相が一国の責任を「投げ出して」から外国に行ってしまったので状況がわからなかったのだが、じつはこの「投げ出す人」を僕はたくさん知っている。
それは、いま60歳くらいのサラリーマンだ。僕が会社に入ったときの上司は当時40歳過ぎ、いまの僕くらいで、現在は60歳くらいだ。
その世代の人たちが、次長になり部長になり、責任が重くなったころ、彼らは面倒くさいことをいきなりすべて「投げ出した」。ある人は総務、経理部門へ、ある人は中年恋愛を経てセクハラとなり役職も「なんにもない人」に。そして誰もいなくなった。
思うのだが、フクダ首相をはじめとする日本の「上」の人は、無責任であることに抵抗がない。なぜなら「やるべきこと」を考えたことがないからだ。「仕事」や「客」がとりあえずあるから仕事をやるだけ。「自ら描くもの」はなんにも持たない。中谷美紀の「嫌われ松子〜」を放映中止してまでの首相の会見をみて、僕はかつてのすべての上司たちを思い浮かべてしまった。
こういう人たちに「あなた、なんで責任者なのに他人事みたいなんすか?」と件の中国新聞の記者のように質問をしたら、彼らはフクダのように逆ギレして「私は自分自身のことは客観的にみることができる。あなたとは違う」とうそぶき続けることであろう。
ともかく「嫌われ松子〜」を見せてくり!
「金がないときほどぜいたくをしろ」というオヤジの教え(?)により、夏休みはなけなしの金をかき集めて海外に出かけることにした。
どこへ行ったかはオヤジの教えにより明らかにしてはいけないのでここには書かないが、まあ、中国周辺である。
昔「恋する惑星」「天使の涙」でバブリィな人気になっていた香港は、返還後のいまではただの中国の一地方都市だった。九龍あたりは以前行った台湾や北京と変わらずまったくつまらない。だいたい中国人は酒を飲む文化がない。お茶だけでクドい中華料理をパクパク食い散らかしているのがなんとも気に食わない。だから旨い酒がない。
それに比べておもしろかったのは金融都市の香港島。ここは欧米の「ハゲタカ」どもの巣窟で、夜の街はヤツらに支配されていた。こいつらは何も生産しない、クリエイトもしない。カネを動かすだけで夜は旨い高級ワインを飲みまくって「セラヴィ!」とかほざいている唾棄すべき人間どもだ。
だいたい、人間はどんな形であれ「人の満足」のための仕事をすべきだと思うが、こいつらには「自分のカネ」しかない。
ともかく香港島は、戦争でなくても金融だけで「侵略」が可能であることをもっともリアルに感じることができる街だ。ここには地元の中国人は一人もいない。日本と同じ「経済植民地」状態だ。
ここで、おれがこれから一生かけて闘おうと思う「敵」たちの顔をじっくり確認できてよかった。こいつら「ハゲタカ」どもをなんとかしてぶっ潰すまではおれは死ねないな。一応。
#2 投げ出しちゃう人
で、どこかの首相が一国の責任を「投げ出して」から外国に行ってしまったので状況がわからなかったのだが、じつはこの「投げ出す人」を僕はたくさん知っている。
それは、いま60歳くらいのサラリーマンだ。僕が会社に入ったときの上司は当時40歳過ぎ、いまの僕くらいで、現在は60歳くらいだ。
その世代の人たちが、次長になり部長になり、責任が重くなったころ、彼らは面倒くさいことをいきなりすべて「投げ出した」。ある人は総務、経理部門へ、ある人は中年恋愛を経てセクハラとなり役職も「なんにもない人」に。そして誰もいなくなった。
思うのだが、フクダ首相をはじめとする日本の「上」の人は、無責任であることに抵抗がない。なぜなら「やるべきこと」を考えたことがないからだ。「仕事」や「客」がとりあえずあるから仕事をやるだけ。「自ら描くもの」はなんにも持たない。中谷美紀の「嫌われ松子〜」を放映中止してまでの首相の会見をみて、僕はかつてのすべての上司たちを思い浮かべてしまった。
こういう人たちに「あなた、なんで責任者なのに他人事みたいなんすか?」と件の中国新聞の記者のように質問をしたら、彼らはフクダのように逆ギレして「私は自分自身のことは客観的にみることができる。あなたとは違う」とうそぶき続けることであろう。
ともかく「嫌われ松子〜」を見せてくり!
昨日は「嫌われ松子の一生」の中谷美紀のあまりの美しさにひたすら感じ入っている最中に、あまりに醜すぎる特番、茶番が。
もう日本の首相なんてどうでもいいから映画を最後まで見せてくれ!
というわけで、首相は河村たかしがいい。文化放送のリスナーと名古屋人にだけは有名だが、誰がやっても茶番なら一筋通った河村たかしでいいではないか。
で、今日午後から夏休みで名古屋方面から海外へ。しばし、バサラ。
もう日本の首相なんてどうでもいいから映画を最後まで見せてくれ!
というわけで、首相は河村たかしがいい。文化放送のリスナーと名古屋人にだけは有名だが、誰がやっても茶番なら一筋通った河村たかしでいいではないか。
で、今日午後から夏休みで名古屋方面から海外へ。しばし、バサラ。
僕の座右の書は岡本太郎の『自分の中に毒を持て』で、高校(大学?)時代に読んで大きな衝撃を受けた。
その後、大学の図書館書庫を漁って絶版になっていた講談社の「岡本太郎著作集」を読み(そのころ、つまり忌むべき80年代、岡本太郎は世の中から完全に無視されていた。これはクィーンも同じで、90年代以降にいきなり脚光を浴びてしまった点で僕の中では岡本太郎とフレディ・マーキュリーは一致する。というか、不遇の80年代に密かに愛読、愛聴していたマイナーさが懐かしい)、亡くなってから続々復刊された名著『今日の芸術』『日本再発見』『沖縄文化論』『美の呪力』『日本の伝統』などを改めて買い読み漁り、もう未読の著作も尽きただろう、あとは再編集版だけだろうといった状況で出版されたのがこの本である。
この出版社の出しているいろんな著作の再編集版『強く生きる言葉』『壁を破る言葉』は非常に安直な企画ながら、鈴木成一デザインの装丁でジャケ買いを呼んだのか、まあ売れている。安直だけにちょっと悔しいが、この本はそうでなく、『にらめっこ』という著作を改題したもので、初めて読むものが多かった。中でもパリ時代の女性の話がいろいろあっておもしろい。
もちろん、鈴木成一の装丁、オビの岡本太郎の写真もいい。実は僕もジャケ買いであった。
その後、大学の図書館書庫を漁って絶版になっていた講談社の「岡本太郎著作集」を読み(そのころ、つまり忌むべき80年代、岡本太郎は世の中から完全に無視されていた。これはクィーンも同じで、90年代以降にいきなり脚光を浴びてしまった点で僕の中では岡本太郎とフレディ・マーキュリーは一致する。というか、不遇の80年代に密かに愛読、愛聴していたマイナーさが懐かしい)、亡くなってから続々復刊された名著『今日の芸術』『日本再発見』『沖縄文化論』『美の呪力』『日本の伝統』などを改めて買い読み漁り、もう未読の著作も尽きただろう、あとは再編集版だけだろうといった状況で出版されたのがこの本である。
この出版社の出しているいろんな著作の再編集版『強く生きる言葉』『壁を破る言葉』は非常に安直な企画ながら、鈴木成一デザインの装丁でジャケ買いを呼んだのか、まあ売れている。安直だけにちょっと悔しいが、この本はそうでなく、『にらめっこ』という著作を改題したもので、初めて読むものが多かった。中でもパリ時代の女性の話がいろいろあっておもしろい。
もちろん、鈴木成一の装丁、オビの岡本太郎の写真もいい。実は僕もジャケ買いであった。
先週土曜日は、6月に亡くなった元上司のお別れの会だった。
昼の1時からの会なのに、朝の8時からフットサル、そのあとビールを飲んでしまい、ちょっとホロ酔いで到着。その後18時間くらい飲んでいた。
で、この本。どうしてか最近、瞬間的に死の恐怖に襲われることもあり、なんとなく手にとった。
普通の健全で平常な筆者が、65歳で自死する(2006年4月)。その思考過程を書いた本。
ポイントはいくつもあり、
・ソクラテス、三島由紀夫、伊丹十三はみんな自死を選んだ。決して絶望からでない自死だった。
・人生の極みを充分味わうと、体が自然に死を求める。
・「自然死」「事故死」「災害死」ほど悲惨なものはない。
・自分の死に対して主体的になることが大事。
などなど。もっといろいろ深い議論もあるのだが、ここではこれくらいで。
人は「自分がもうすぐ死ぬ」と実感すると、「否認の段階」「怒りの段階」「取り引きの段階」「抑うつの段階」「受容の段階」という5段階の「受動的ないしは消極的な死の受容」があるが、筆者はここで「能動的積極的受容の5段階」を主張する。
これら受容の追求の結果がこの本であり、少なくともこの本を読めば少し生き方(死に方)を変えてみたいと思うはずである。衝撃的でもあるが、かなりオススメ。
昼の1時からの会なのに、朝の8時からフットサル、そのあとビールを飲んでしまい、ちょっとホロ酔いで到着。その後18時間くらい飲んでいた。
で、この本。どうしてか最近、瞬間的に死の恐怖に襲われることもあり、なんとなく手にとった。
普通の健全で平常な筆者が、65歳で自死する(2006年4月)。その思考過程を書いた本。
ポイントはいくつもあり、
・ソクラテス、三島由紀夫、伊丹十三はみんな自死を選んだ。決して絶望からでない自死だった。
・人生の極みを充分味わうと、体が自然に死を求める。
・「自然死」「事故死」「災害死」ほど悲惨なものはない。
・自分の死に対して主体的になることが大事。
などなど。もっといろいろ深い議論もあるのだが、ここではこれくらいで。
人は「自分がもうすぐ死ぬ」と実感すると、「否認の段階」「怒りの段階」「取り引きの段階」「抑うつの段階」「受容の段階」という5段階の「受動的ないしは消極的な死の受容」があるが、筆者はここで「能動的積極的受容の5段階」を主張する。
これら受容の追求の結果がこの本であり、少なくともこの本を読めば少し生き方(死に方)を変えてみたいと思うはずである。衝撃的でもあるが、かなりオススメ。
サラリーマン小説など珍しくないが、この著者の世代(いまの40代後半)が書く普通のサラリーマン小説(オビにはオフィス小説とあるが)は意外に盲点で、非常におもしろかった。
妻子がある40代課長が自分の部署に入ってきた部下の女の子(20代)に片思いしてしまうがそれゆえになんにも手出しができない状況というのは非常にありがちで、だからそのつらさが小説としてのスタンダードで「じつにわかる」。女の子が魅力的なほど苦しみ喘いで、それは「自分は彼女にとって対象ではない」と気づくまで続く。そしてそのときの悲喜劇。なんともいえない実感がある。
こういった表題作から、「営業のトップセールスがぬるま湯の総務部に出向する話」「非常に優秀な外資系の女性が上司になった話」や、明らかに舞台は天王洲アイルではないかという話まで、著者の世代から「いま」の世代への時間の流れが実感できる話もあり、逆に僕らの世代のサラリーマン(ちょっと下で、主人公たちの世代を少し古くみている世代)にはギャップが程良く超オススメ。
妻子がある40代課長が自分の部署に入ってきた部下の女の子(20代)に片思いしてしまうがそれゆえになんにも手出しができない状況というのは非常にありがちで、だからそのつらさが小説としてのスタンダードで「じつにわかる」。女の子が魅力的なほど苦しみ喘いで、それは「自分は彼女にとって対象ではない」と気づくまで続く。そしてそのときの悲喜劇。なんともいえない実感がある。
こういった表題作から、「営業のトップセールスがぬるま湯の総務部に出向する話」「非常に優秀な外資系の女性が上司になった話」や、明らかに舞台は天王洲アイルではないかという話まで、著者の世代から「いま」の世代への時間の流れが実感できる話もあり、逆に僕らの世代のサラリーマン(ちょっと下で、主人公たちの世代を少し古くみている世代)にはギャップが程良く超オススメ。

